江原啓之 オーラの泉で有名な江原啓之(えはらひろゆき)と美輪明宏(みわあきひろ)の出演でおなじみのスピリチュアル前世占い!オーラの泉のオーラ診断!前世!守護霊!スピリチュアルな事を詳しく紹介していきます!!!
2008.08.30 Saturday
江原啓之のオーラの泉・千原ジュニア
☆千原ジュニアさんのプロフィール
千原ジュニア(ちはら - 、本名:千原 浩史(ちはら こうじ)、1974年3月30日 - )は日本のお笑い芸人、俳優。コンビ「千原兄弟」のボケを担当。京都府福知山市出身(本籍は父親と同じ京都府舞鶴市である)。京都共栄学園中学校卒業。NSC8期生(卒業はしていない)。2005年、芸名を千原ジュニアに正式に改名。
○小学校時代は勉強もでき、私立中学を受験して合格。しかし進学校の空気になじめず、登校拒否、引きこもりとなる。高校には進学したが、相変わらず引きこもりを続けていた。
○お笑いの世界に入ったきっかけは、先にNSCに入学していた兄の千原せいじから「お前、何もせんと家におんのやったら、俺吉本(NSC)にいてるから来いや」と誘われたことである。NSCへ出向いたジュニアは、せいじに「あさってまでにネタつくってこい」と言われ、「ついこの間まで引きこもってた奴になんちゅうことさせんねん」と思いながらも、言いつけどおりにネタをつくり上げた。そのネタで爆笑をとり(本人いわく、たまたまウケただけでそれ以降は大してウケなかったらしい)、そのときのあまりの快感に「俺にはこれしかない」と決意し、高校を中退したという。
○NSC入学後は、およそお笑いに関係があるとは思えない授業に辟易して何度となくやめようと思ったが、同期入学であるFUJIWARAの原西孝幸が面白く、彼見たさに通い続けたと後に語っている。
○「冠番組を持つと死にかける」という不幸な一面を持っており、急性肝炎とオートバイ事故で2度にわたり生死の境をさまよったことがあるが、無事に復帰して現在に至る。急性肝炎を患った際には、同時期にベイブルースの河本栄得が劇症肝炎で急逝したこともあり、ジュニアも同じ病気ではないかと噂された。なお、これが6年周期でやってきており(肝炎は20歳、事故は26歳)、2007年がちょうど6年目にあたっていたため、「今回は何があんねん」と不安に思っていると番組内で告白した。不安は当たり、この年6月の『ケータイ大喜利』の収録後に、足の指を剥離骨折した。奇遇にも同年10月から、TOKYO MXで冠番組の「千原ジュニアのシャインになりたい」がスタートした。
○東京に進出した当初は、松本人志や木村祐一などに連れられてよく遊んでいた。最近では、山本吉貴、佐田正樹(バッドボーイズ)、タケト(Bコース)、堤太輝(どりあんず)、綾部祐二(ピース)、若月徹(若月)、林克治(カリカ)といった後輩を連れて、よく遊んでいる(大阪時代はケンドーコバヤシととくに仲がよく、毎日のように遊んでいたという)。
○ダニとハウスダストのアレルギー持ちで、『ジュニアのススメ』の収録中にアレルギーの症状が出たことがある。
○板尾創路(いたお いつじ)を慕っており、自らの「笑いの師匠」であると語っている。「板尾軍団」の一員を自称している。なお団員はジュニアのみである。
○オートバイ事故にあって集中治療室から出たときには、「もう芸人としてはやっていけないかもしれない。作家や他の仕事をするしかないのか」と悩んだ。しかし、板尾創路、東野幸治、今田耕司、松本人志などの芸人仲間が毎日のように見舞いに訪れ、芸人流の励ましを受けるうちに復帰を決めた。一般病棟に移った後に最初に見舞いに来たのは板尾で、コンビニで買ってきた何冊もの雑誌を無造作に置いて「何してんねん、はよ帰って来い」とだけ言って帰った。いちばん上にあったのは「今度はベスパに乗ろう」という特集コピーの書かれたバイク雑誌だった。このときのことを、ジュニアは「ありえへん」と評している。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。
☆江原さん、美輪さんとの関係。
美輪さんとは、バラエティ番組で見かけたことがある。
江原さんとは、初めまして。
☆スピリチュアル・チェック
◎小さい頃なりたかった職業・・・ボクサー。
◎人生の転機・・・15歳で芸能界に入った時、バイクで事故を起こした時。
◎不思議な体験・・・バイク事故の時に臨死体験のようなことがあった。
◎一番気になること・・・6年周期で長時間入院するような出来事がある。
☆スピリチュアルな世界
☆スピリチュアルな世界は、信じている。5〜6歳の頃、十字路で車がぶつかるから危ないから下がっておこう、となぜか思い、下がっていた。その後、実際に事故が起こった。
不思議な体験はその他にもあるけど、忘れているだけ、と美輪明宏さん。もっと体験をしているはず。悪運が強い、と美輪明宏さん。
☆引きこもり。
◎小学校6年生の頃、突然勉強を始め、進学校として有名な私立中学に合格。学校に馴染めず、友達もできず、中学2年生から引きこもりに。このまま勉強を続けて、その先にあるものでご飯を食べて行く気がせず、ここにいてもしょうがないと思った。しかし、何をしていいのか分からず、部屋で悶々としていた。引きこもりは、約2年続いた。
兄の千原せいじさんは、先に吉本興業の養成所に入っていた。学校に行っていないなら、と兄に養成所へ呼ばれた。お笑いには興味無かったが、藁をも掴む思いで行った。
ネタを作るように言われ、何とか作り、兄と二人で稽古をした。授業で発表したら、なぜか受けた。今までたくさんの人の笑い声を聞いたことが無かったため、電気が走るような感覚があり、泣きそうになった。絶対にこの世界にいたい、と思った。お笑いと出会い、引きこもりから抜け出した。
☆バイク事故。
◎番組を持つと死にかける、という伝説を持っている。1995年、関西でレギュラー番組を始めた時、突然意識不明になり、急性肝炎で入院。2001年、バイク事故で顔が変わるほどの重傷、4日間意識不明。意識を取り戻したのは、両方とも誕生日の3月30日。
バイク事故では、1000ccのバイクに乗り、夜の11時半頃にタクシーを避けようとして、石柱に顔から突っ込んだ。鏡で顔を見た時は、顔が腫れ上がっていて、終わったと思った。芸人に戻れるはずがない、と思っていた。意識が戻っても何も考えず、真っ白だった。
事故に遭った直後は、お花畑が出てきた。先輩のお笑い芸人が走っていて「こっちに来い」と呼んでいた。なぜか分からないが、行ってはいけないと思った。行ったらあの世に行っていた、と江原啓之さん。行かなかったのは、生きたいという思いがあったから。
ICUから一般病棟に移されたその日から、先輩や後輩が見舞いに来てくれた。すごく嬉しかった。板尾創路さんからは「早く帰ってこい」と言われた。終わったと思っていたのに、何でこんなことを言ってくれるのだろう、と思い、自分はまだ芸人なんだ、と気付いた。
2001年8月、再び舞台に戻る。観客は待っていてくれて、本当にうれしかった。最後はありがとうございました、と言いながら泣いていた。
実感することがテーマの人生、と江原啓之さん。勉強して中学に合格しても手応えにならなかったので、引きこもって、手応えを考え直した。初めて手応えを感じたのは吉本の養成所。バイク事故で生きている実感を感じた。
事故を起こしてから、人生観は変わった。アゴが割れていたので、回復してちょっとした物でも食べられるようになることが嬉しかった。ありがたみは人生の何よりの修行、と美輪明宏さん。健康な人はそのありがたみを何も感じず、当たり前だと思うのは傲慢。感謝を忘れて不平不満ばかり言っているから不幸になる。
笑いが取れないとお客さんが悪いと思っていたが、たくさんの人と
笑いを共有したい、と思うようにもなった。攻撃的で傲慢だったのが、悟ったことは大きな財産、と美輪明宏さん。笑いが元気や勇気を与えることを実感した、と江原啓之さん。
14歳の時に引きこもり、20歳で急性肝炎、26歳でバイク事故、と6年周期で災難が起きている。32歳の時も心配していたが、足の指を骨折した。他の災難に比べれば、小さなことだった。
6年周期ではなく、本当は3年周期、と江原啓之さん。3年ごとに落ち込むことがあったはず。ただし、年数を気にすることは無い。
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2007.12.22 Saturday
江原啓之のオーラの泉・堂本光一
☆堂本光一さんのプロフィール
堂本 光一(どうもと こういち、1979年1月1日 - )は、兵庫県芦屋市出身の男性アイドル、歌手、俳優、タレント、作詞家、作曲家、シンガーソングライター。 ジャニーズ事務所に所属するKinKi Kidsのメンバー。 血液型・B型。 愛称は光ちゃん、ピカイチ、王子など。 身長・168cm。 東海大学付属望星高等学校卒業。 KinKi Kidsの相方・堂本剛と名字が同じなのは偶然で、血縁関係は無い。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。
☆スピリチュアル・チェック
◎性格を一言で言うと・・・自分に対して嘘つき。
◎得意だった科目・・・理科。
◎気持ちが充実しています、何をしていますか・・・仕事。
◎将来、どんな家庭を作りたい・・・両親が築いたような素敵な家庭。
◎不思議な体験・・・手を見た。母も同じ手を見ていた。
☆スピリチュアルな世界
スピリチュアルな世界に対しては、半信半疑。理科が大好きなので、自分で解決したい。
シニカル、と美輪明宏さん。皮肉にものを見る所がある。自分自身に対してもそう、と江原啓之さん。自分の悪い面ばかりを見ようとする。
☆性格
性格は、自分に対して嘘つき。片付けや掃除は嫌いだが、片付けないと気が済まない。仕事で疑問に思うことがあっても、やるべきことだ、と自分に言い聞かせている。
舞台で仕事をしているのは大好き。自分が王様でいられて、確実に自分があるから。自分を表現できる場所。
人見知りは激しい。番組ではカメラが回っていると話ができる。カメラが回っていないと話せない。
自分のことを語るのが得意ではない。自分のことを一番わかっているつもりだが、わかっていないのかもしれない。自分の思っている自分は、言葉で表せない自分かもしれない。
オーディオは大好き。配線に気をつけるように、と江原啓之さん。配線が大好き、と堂本光一さん。電化製品の接続は全て自分で出来る。
段取りマニア。効率が良いのが好き。自分が王様で、自分の主体性で生きていられるエリアが好き。一人の場所のほうが好き。
☆不思議な体験
金縛りにあったとき、目の前に手が動いていた。明らかに自分の手ではない。恐怖が襲ってきたが、そのまま寝てしまったら、その日は何もなかった。同じ日に東京のホテルで母と姉が寝ていたが、姉はうなされていて、母は壁から手が出ているのを見ていた。兄弟姉妹の絆で察知する一種のテレパシー、と江原啓之さん。
沖縄でミイラのようなおばあさんの顔を見たこともある。目だけはすごく怖かった。土地の霊、と江原啓之さん。堂本光一さんは勘が鋭いので、見やすい。
☆堂本剛さん
「KinKi Kids(キンキ キッズ)」の堂本剛さんと血縁関係は無いが
同じ苗字。初めて会ったのは、横浜アリーナ。ジャニー喜多川さんに紹介された。ジャニー喜多川さんは、縁を結びつける能力がある、と江原啓之さん。
堂本剛さんとは先祖の結びつき、と江原啓之さん。先祖を辿ると、助け合っている姿が見える。
今でも意識をしなくても助け合っている。性格は正反対だが、持ちつ持たれつの関係。お互いに嫌な部分は反面教師になっている。お互いに分かりすぎるくらい分かるが、寛大でいられる。
お互いが出る場所、引く場所は、話さなくても自然とできる、と
堂本光一さん。以心伝心。
霊を信じたくない、と堂本光一さん。信じて深く関わると、気に病んでしまうため。
一番怖かったのは、撮影で熱海に行き、歯を磨きながら鏡を見たら、水色のTシャツを着た人が見えた。何かの間違いじゃないかと思い、歯を磨いていたらまた見えた。それでも信じずに寝ようと思い、電気を消そうとした瞬間に全部の電気が消えてしまった。
撮影でカメラが動かなくなったことは、しょっちゅうある。
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2007.12.14 Friday
江原啓之のオーラの泉・内藤大助
☆内藤大助さんのプロフィール
内藤 大助(ないとう だいすけ、1974年8月30日 - )は、日本のプロボクサー。WBC世界フライ級王者・元日本&OPBF東洋太平洋フライ級王者。宮田ジム所属。北海道虻田郡豊浦町出身。北海道豊浦高等学校卒。血液型A型。既婚。愛称は「北の剛拳」「最短男」。
入場曲は、C-C-Bの「Romanticが止まらない」。これは、内藤がいじめにあっていたとき、C-C-Bのラジオ番組にいじめのことを相談する葉書を出し、それが採用されたことによる。KO率70パーセントのハードパンチャーである。
2007年10月の亀田大毅戦での健闘で注目を集めた。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。
☆スピリチュアル・チェック
◎性格を一言で言うと・・・心配性
◎毎日欠かさずにすること・・・新聞の折り込み広告のチェック。
◎怖いもの・・・母親・ゴキブリ。
◎よく見る夢・・・自分が亡くなる夢。
◎元気の源・・・奥さん・子供・家族といるとき。
◎人生の転機・・・高校卒業後、就職先が決まったが入社式直前に内定取り消しになったこと。
☆ボクシングを始めたきっかけとは・・・
幼い頃に両親は離婚し、母親は民宿を切り盛りしながら育ててくれた。小さい頃、運動神経は良かったが体が小さかったため、中学に入るといじめにあった。いじめに負けたくない、と思いボクシングを始めた。
クラスのリーダー的な存在のグループの一人に嫌われ、無視、ヒソヒソ話などをされ、蹴られたこともある。ストレスで胃潰瘍ができた。でも、母親には相談できなかった。
近くにボクシングジムがあることを知り、ボクシングを始めたらいじめらなくなると思い始めた。
身の上相談では、女の子でも合気道くらいやりなさいと言う、と
美輪明宏さん。身を守ることができ、自分自身に自信が付く。
人生の転機は、高校卒業後に就職先が決まったのに、入社式直前に
内定取り消しになったこと。アルバイトをしていた北海道のホテルの厨房に内定が決まっていた。入社式直前に先輩と揉めてしまい上司に厨房以外に変えて欲しいと言った。上司が総支配人に相談した結果、クビになった。
母親にはあきれられた。一週間後には、東京で働いている兄の元に預けられた。先輩に反抗していなかったら、東京にも行かず、ボクシングもやっていなかった。
☆母親
母親はものすごく怖い。帰るたびに説教をされる。褒められた記憶は無い。プロや世界チャンピオンになっても褒められなかった。
母親はいじめに気付いていた、と江原啓之さん。よろよろと帰ってきたり、しゅんとしている姿を見ていた。強く育てないといけないし、生き抜くことに精一杯だったのであえて言わなかった。
内藤大助さんも母親に言うことでいじめを自覚するのが嫌だった。
☆引退と現役続行
1996年に22歳でプロデビューし、同じ頃にジムのボクササイズに
通っていた真弓さんと出会い、2000年に結婚。
2002年、世界初挑戦の機会を得るが、チャンピオン・ポンサクレックに34秒でKO負け。
2005年、再度王者ポンサクレックに挑むが、負傷判定負け。
このとき、負けたら引退、と決めていた。友達とフィリピンのセブ島に引退旅行に行った。スパーリング相手のボクサーのジムを訪問し、「次の試合はいつやるんだ?」と聞かれた。サバサバした姿がすごく印象的で、それを言われてとてもうれしく、また一緒にボクシングをやりたいと思った。日本に帰ってから考え直し、引退しなかった。
日本人は情緒的にマイナス思考、と美輪明宏さん。何かあるとすぐに後ろ向きに考えてしまう。日本人は情念を引きずる。
内藤大助さんは何事もダメから始まる、と江原啓之さん。いつも「ダメだけどやってみようかな」と思っている。
元々は粘り強く、耐えることには自信がある、と江原啓之さん。才能は無いが、追いつくためには人一倍コツコツとやるしかない、と内藤大助さん。母親もそう教えてきた。
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2007.10.16 Tuesday
江原啓之のオーラの泉・武田鉄矢
☆武田鉄矢さんのプロフィール
武田 鉄矢(たけだ てつや、1949年4月11日 - )は、福岡県福岡市博多区出身の歌手、俳優、タレント、作詞家である。本名、同じ。フォークグループ『海援隊』のリーダー。身長170cm。
福岡市立板付小学校、三筑中学校、福岡県立筑紫中央高等学校卒業。坂本竜馬の研究を志して高知大学を志すも失敗し1浪を経て、福岡教育大学教育学部小学校教員養成課程に入学するも8年在籍し中退(正しくは除籍)。芸能界で失敗しても大学に戻れるよう母君の武田イクが学費を払い続けていたという。
1972年10月25日に、千葉和臣・中牟田俊男らと海援隊でデビュー。当初は全く売れなかったが、武田が母・イク(1998年死去)に向けた詫び状を歌にした「母に捧げるバラード」(1973年)がヒットし、翌年の第31回NHK紅白歌合戦に出場。
その後はしばらく低迷したが、映画「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)でのさえない青年役が高い評価を得て俳優としての新境地を開拓。海援隊としても再び注目され、ドラマ「3年B組金八先生」(1979年)のヒットとともに主題歌の「贈る言葉」も大ヒットした。1982年12月、海援隊を解散後はソロ歌手・俳優・作家として活動。歌手活動としては、「男と女のラブゲーム」(芦川よしみとのデュエット)(1987年)、「声援」(「3年B組金八先生」第3シリーズ主題歌)(1988年)などのヒット曲がある。海援隊は1993年4月10日の「ドリームライブ in 福岡ドーム」のために1日だけ再結成され、翌1994年に本格的にグループとしての活動を再開し、現在に至る。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。
☆スピリチュアル・チェック
◎性格を一言で言うと・・・臆病、不安がるタイプ。
◎小さい頃、どんな子供・・・のどかなぼんやりした少年。空を見たまま動かなくなる、菜の花畑から動かなくなる
◎怖いもの・・・減っていくお客。
◎家族の優しさ、思いやりを感じたとき・・・仕事が順調でないとき、女房からかけられた言葉一番苦労しているときの「周りをしっかり見ておこうね、ここがどうやらどん底らしい」という言葉が胸に響いている
◎人生の目標・・・武田鉄矢になりきること。
☆怖いものとは
◎怖いものは、減っていくお客。2000人満杯だった客が毎月後ろから減っていき、最後には15人になったことがある。歌が企画物と思われ、誰も聞いてくれなくなった。収入がなくなり、奥さんと二人で皿洗いのアルバイトをしたことが
ある。奥さんから「周りをしっかり見ておこうね、ここがどうやら
どん底らしい、もう上るだけ、もう落ちる心配しなくていいから」
という言葉が支えになった。
一度実家に帰ったら、母親は話を聞かずにお酒を燗につけていた。
父親も呼んで突然「おめでとうございます、乾杯!」と言われた。
実家に帰る話もしたが帰ってくるな、と言われた。厄病神が取り付いているような顔になっているから、家族3人で乾杯を言って大騒ぎしていれば、厄病神の取り付きがいがなくなる、と言われた。人間を最後に救うのは、芝居っ気。
素晴らしい教え、と美輪明宏さん。子供に対する親の教えは、そうあるべき。見方や視点をちょっと変えるだけで、狭かった希望の道が広く見える。
☆母に捧げるバラード
◎1972年に「海援隊」としてデビューしたが、全く売れなかった。
追い詰められて、適当に語るようになった。落ちぶれて帰ったときのために、母親のことをネタにしてその歌を詫び証文にしよう、と考えていた。断崖絶壁から生まれた歌「母に捧げるバラード」が100万枚以上の大ヒットになった。母親は歌を聞いたときに怒っていたが、歌どおりの人。世俗的。
ケースバイケースで生きていくんだ、という人だった。人がそう思うなら、その通りに嘘をついてあげる。無駄に真実を話して、面白くなくする必要は無い。人は誰でも面白い話を聞きたい。
「ヨイトマケの歌」は無言で愛情を示しているが、「母に捧げる
バラード」は、どんなに辛いときも笑い飛ばすという先人の知恵、
と美輪明宏さん。九州女の強さとユーモア。一言一言に哲学と真理がある。
家は貧しかったが、悲惨で暗くて切ない私をどこまでおどけて表現できるかが人生だ、と母親は言っていた。惨めな自分を笑い飛ばす高等技術。
☆幸福の黄色いハンカチ
◎東京へ戻り1〜2ヶ月で、映画「幸福の黄色いハンカチ」の仕事が
舞い込んできた。芝居もやったことが無いので、とても不思議だった。山田洋次監督からのオファー。「母に捧げるバラード」を聞いた監督が、台詞の作れる子かもしれない、と思ったことがきっかけ。台本の台詞を若者の生々しい言葉で膨らませてくれる才能が欲しかった。
山田洋次監督は、会ったときはとても優しかった。現場に入ったらとても怖かった。怒られて50回以上も撮り直したことがある。
父親が来ている、と江原啓之さん。母親も来ているが、父親を押し出している。父親が日の目を見るように。母親は父親への愛情がものすごく強かった。
母親は愛情たっぷりの人。父親はいつも武田さんの陰に徹していた。母親はこれを機会に父親を前に出そうとしている。
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2007.09.25 Tuesday
江原啓之の幸せのレッスン
<<江原啓之の幸せのレッスン>>はニッポン放送のラジオ番組。2006年10月6日放送開始。パーソナリティは江原啓之さん。
2007年10月から放送時間が、毎週月曜日の夜9時からに変わります。
◎江原啓之さんが今、思うこと・・・フリートークのコーナー。
◎ゲストのコーナー・・・同番組では、毎週月単位でゲストをよんでいる。2007年3月まではゲストの職業を歌手に限定したが、2007年4月以降は歌手に限定せず、各界で活躍する人と題して、さまざまな業界で活躍する人物をゲストに呼ぶことにしている。
◎スピリチュアルカウンセリング・・・視聴者からの悩み相談や素朴な疑問を受け付けるコーナー。
◎天国への手紙・・・視聴者からの、すでになくなった本人の関係者へのメッセージをそのなくなった人物への手紙の形式で受け付けるコーナー。余談だが、江原啓之さんはフジテレビ系列で定期的に放送されるテレビ番組『江原啓之スペシャル 天国からの手紙』のMCとしてこのコーナーと同様の相談を受け付けている。
◎江原啓之クラシックセレクション・・・リスナーによる同コーナー宛ての『こういうときにどういうクラシック音楽を聴けばよいか?』という質問に江原啓之さんが答えるとともに、実際にその音楽を番組で流す。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。
・江原啓之さんのラジオ番組「江原啓之の幸せのレッスン」も江原啓之さんが好きな人は是非、聞いてみて下さいね☆
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2007.08.28 Tuesday
江原啓之のオーラの泉・佐藤江梨子
☆佐藤江梨子さんのプロフィール
佐藤江梨子(さとう えりこ、本名: 佐藤榮利子、1981年12月19日 - )は、女優、タレント。モデル、グラビアアイドル。所属事務所はイエローキャブ。血液型はAB型。愛称「サトエリ」。
○東京都江東区出身(本籍は札幌市)。父親の転勤で、神戸・大阪・千葉などで育つ。堀越高等学校卒業。同級生には安達祐実、内藤陽子、岩隈久志などがおり、内藤陽子は親友。
○姉は舞台女優で劇団ふるさときゃらばん所属の水香。弟もおり、佐藤本人によれば、ネプチューンの名倉潤にそっくりだという。
○ファーストキスは18歳の時に経験した。恋愛に関しては奥手な性格。
○バレエをやっていたため身体が柔らかく、210度まで開脚出来ることが特技。
○神戸市東灘区に住んでいた中学1年生の時、阪神・淡路大震災で被災。その際、聴いていたKiss-FM KOBEのラジオ番組のパーソナリティにあこがれて芸能界入りを目指す。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。
☆スピリチュアル・チェック
◎性格を一言で言うと・・・甘えん坊のロマンチスト。
◎好きな男性のタイプ・・・しつこい人。
◎なぜか心惹かれる国・・・インド。
◎不思議な体験・・・体の中から白いヘビが出てきた。
◎最近気になっていること・・・神棚を作り、気持ちが良いので毎日拝んでいるが、神棚の祀り方はあっているのか気になる。
☆白いヘビ
高校生の頃、今の事務所から帰る途中に神社があり、その向かいで
男性がにこっと笑っていた。笑い返したら、投げ飛ばされて、ナイフを胸に当てられた。びっくりて大声を出したら、声と一緒に体からとても大きな白いヘビが出てきた。ヘビがその男性を追いかけて、男性は逃げて行った。
両親に話をしたら「分かるよ」と言われた。母方の親戚に白いヘビを祀っていた人がいたため。その人と佐藤江梨子さんは、すごく似ている、と言われていた。
色情の念はヘビとなって現れることがある、と江原啓之さん。念の化生(けしょう)。思いが形となって現れたもの、生霊。ヘビは必ずしも良いことの前兆ではない。
☆火の暗示
最近周りで揉め事はなかったですか?と江原啓之さん。火の暗示が見える。実際に火事が起きたり、憎しみの火花を散らす。
揉め事はあります、と佐藤江梨子さん。あまり介入しないほうが良い、と江原啓之さん。佐藤江梨子さんは正直で冗談が通じないため、振り回されやすい。
☆インド
インドに心惹かれる。三島由紀夫「暁の寺」、遠藤周作「深い河(ディープ・リバー)」などにインドが出てきて、一度は行ってみたい、と思っていた。去年、インドに行ける機会があり、実際に行ってきた。生と死が同時に存在していると感じた。ガンジス川は炊事、洗濯、風呂場に使う場所であり、亡くなった人の灰を流す場所でもある。
読書が好き。自分でも文章を書いている。想像力が豊か、と江原啓之さん。活字を全て映像化しているため、役者としてプラスになっている。
☆結婚願望
極度な寂しがり屋、と江原啓之さん。発作的に愛情を求めるが、収まると全く必要ない。自己処理が早い。
しつこい男性が好き。佐藤江梨子さんは飽きっぽいため。
結婚願望はあり、面白い子供が欲しい。佐藤江梨子さんは子供が寄ってくるタイプで、子供と遊んでいると癒される。子供はエネルギーの塊。純粋な人は純粋なものが好き。
☆医学
医学、医療系に進みたい時期はなかったんですか?と江原啓之さん。父親が医療関係の仕事をしていたため、やりたかった時期はあった。阪神大震災で同い年の友達が亡くなり、ショックを受けた。ラジオを聞いていたら、被災者を気遣うDJに感動した。ラジオの仕事をするようになった。
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2007.05.26 Saturday
江原啓之のオーラの泉・香里奈
☆香里奈さんのプロフィール
香里奈(かりな 1984年2月21日 )は、日本のファッションモデル・女優。本名、能瀬 香里奈(のせ かりな)。愛知県出身。テンカラット所属。血液型はA型。視力:左右1.5。身長:165cm。体重:46kg。
☆スピリチュアル・チェック
◎性格を一言で言うと・・・負けず嫌い。
◎小さい頃なりたかった職業・・・ノストラダムスの予言が当たると思っていたから無い。
◎無くなると困るもの・・・カメラ、写真。
◎苦手なもの・・・狭い所、天井が低い所。
☆大切な物
小瓶集めが趣味ですか、と江原啓之さん。お菓子が入っている瓶、グラスを集めるのが好き。
和風のものも好き。自分ではどうしてか分からないが、風情が溢れているものに惹かれる。
無くなると困るものは、写真とカメラ。仕事の撮影で写真と毎日向き合っているため。スチール写真の世界が好きで、自分で撮るのも好き。
消え行くものが嫌、と美輪明宏さん。何でも存在を残しておきたい。その時しか撮れない空と風景、人の顔の写真を撮るのが好き。
美輪明宏さんは写真が大嫌い。残るのが嫌。映画やドラマよりも、舞台が好き。見た人の心の中にだけ思い出が残る。
◎心惹かれる場所・・・行ったことはないけど屋久島。
☆負けず嫌い
人が怖い、と江原啓之さん。孤独に強く、ストイックなものが好き。
仕事での人との関わりでとても疲れる。負けず嫌いは、勝たねばやられる、という恐怖症。常に自分が責められているような感覚がある。
☆天使と悪魔
小鳥のようにちょこちょこ食べる姿が見える、と江原啓之さん。普段はすごく食べるが、仕事場ではあまり食べない。現場では緊張が強いが、心許せる人だとたくさん食べれる。
プライドの塊みたいな方、と美輪明宏さん。プライドを傷付けられることが嫌い。自分の中の天使と悪魔を感じるとすごく嫌になる。
自分ではプライドは持っていないつもりだが、ゲームなどをして負けると、とても悔しくなる。仕事面でも負けない気持ちは常にあるが、表には出さない。
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2007.04.28 Saturday
江原啓之のオーラの泉・劇団ひとり
☆劇団ひとりさんのプロフィール
劇団ひとり(げきだんひとり、本名:川島 省吾(かわしま しょうご)、1977年2月2日 - )は、お笑いタレント、俳優、作家。千葉県千葉市出身。身長176cm、体重75kg。血液型はA型。太田プロダクション所属。
☆スピリチュアル・チェック
◎小さい頃なりたかった職業・・・パイロット。
◎性格を一言で言うと・・・情緒不安定。
◎気になること・・・女性。
◎人生の転機・・・お笑いを始めたこと。
☆パイロット
◎小さい頃はパイロットになりたかった。父親は元国際線のパイロットで、母親は元キャビンアテンダント。小学2年〜5年までアメリカのアラスカ州にいた帰国子女。
お笑いを始めたのは、15歳の頃。遊び半分で「元気が出るテレビ」の「お笑い甲子園」に出たのがきっかけ。両親の反対は無かった。
高校を中退し、定時制高校に入ったが、あまり通っていなかった。
お笑いという目標を見つけたため、親には安心感があった。
☆人見知り
◎人見知りがものすごく、友達はほぼいない。たまにご飯を食べる友人はいるが、腹を割って話す友人はいない。受け入れてもらえない、という気持ちがある、と江原啓之さん。一人が好きだから。
親との関わり、お父さんとの心の通じ合いが大人との関係みたいだった。人との関わりが面倒くさい。人と出会うのはヒントを与えてくれるもの、と切り替えること。苦痛に思わず、楽な気持ちで出かけること。
☆女性関係
◎自分の分かる範囲で、悪い部分は直してきた。禁煙、禁女をしている。今はほぼ完璧な状態。オーラだけを完璧にしたい。
特に女性関係が悩み。行動はしているが、出会いが無い。出会いがあっても、ものすごい面食い、目にかなう美人がいない、と美輪明宏さん。滝川クリステルが理想、と劇団ひとりさん。
すぐに飽きちゃう、と江原啓之さん。マイブームがものすごく短い期間で終わっている。元々、人と暮らせる人間じゃない、と美輪明宏さん。
結婚願望はあり、恋愛の延長で結婚したい。結婚は恋愛の延長ではない、と江原啓之さん。恋愛は夢、結婚は現実。
結婚式は自由との告別式。結婚指輪はつるはし。毎日が労働に切り替わる。苦労をしていると、少しずつ金(絆)が出てくる。
☆情緒不安定
◎性格は情緒不安定。すごくポジティブな日もあるが、夜にはネガティブになる。浮き沈みが激しい。どんなにいい仕事をしても、最終的にはへこんでしまう。
それは意欲だから普通、と江原啓之さん。それが無かったら成長しない。
ポジティブは気分の問題ではない。靴紐がほどけていたら、結ぶのがポジティブ。靴紐に気付かずに結ばないのは、ネガティブ。同じことの繰り返しをして、陽気に明るく生きるのは愚か。
落ち込んだときに必要なのは理性、いらないのは感情。感情を抜く練習をして、理性だけで自分自身を見つめること。
自分を変えていこう、という気持ちが無いのはネガティブ。失敗したら感情を抜いて、どうすれば良かったのかを考える。冷静に方法論だけを考えれば、次は頑張ろうという気持ちになれる。
それでも方法論が見つからなかった場合は、時期じゃないから、と
美輪明宏さん。その問題をどけて、考えないようにする。
大我と小我。大我は相手を愛する気持ち。小我は自己中心的な愛。常に大我で生きれば、ネガティブにならない。
「偶然は無く必然」を誤解している人がいる。失敗は必然、と逃げる口実にしてはいけない。因縁果(原因があって結果がある)。
努力しなかった、という原因があって結果が出ている。必然は全て決まっている訳ではない。「偶然は無く必然」を免罪符にしないこと。
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2007.04.09 Monday
江原啓之&嵐〜明日への扉〜
フジテレビのホームページによると・・・
第1部は歴史上の大きな事件や事故の裏で活躍したと言われるスピリチュアリストたちの歴史を紹介し、現代のスピリチュアリストである江原が解説。歴史上の隠された真実が、江原の手によって明かされる…!? そして、ジャニーズJr.と共に、約100台の電話とファックスで、悩み相談の受け付けを始める。
第2部からは、嵐の5人が登場! 寄せられた悩みに、江原と嵐が答えていく。今回、嵐のメンバーは「親が子とどうやって向き合っていくか」「子供を育てていく上で大切なこと」などの“親と子”をテーマにした内容の事前ロケや、次々と不幸が起こる場所に江原と共に向かうという事前ロケにも参加。番組の進行を担当したり、“いじめ”について考えるコーナーではメンバーが江原にさまざまな疑問をぶつけていく。さらに、スタジオに悩みを抱えた視聴者が登場し、生放送という緊張感の中、江原の霊視で解決に導くコーナーや、生中継での遠隔霊視を行う企画も…! 果たして、何が起こるのか…!?
先日、3月31日に江原啓之さんと嵐の番組が放送されました。今回の江原啓之さんの番組もよかったです。江原啓之さんの未来に対する考え方や、今の日本に必要な「心」についての、素晴らしい言葉と元気に生きていくヒントをこころから感じました。
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2007.03.23 Friday
江原啓之のオーラの泉・EXILE(エグザイル)のATSUSHI
☆ATSUSHIさんのプロフィール
◎ATSUSHI(アツシ、本名:佐藤篤志 (さとう あつし)、埼玉県越谷市、1980年4月30日 - 血液型:A、身長175cm、体重67kg)
4歳より高校卒業時までクラシックピアノを習うが、高校在学中に組んだバンドがきっかけでヴォーカリストを志すようになる。
高校卒業後、専門学校でヴォーカリストとしての技術を磨き、2000年にテレビ番組「ASAYAN」の男子ヴォーカリストオーディションで最終選考まで残ったが、落選。このとき頂点に立った2人は「CHEMISTRY」としてデビューした。
オーディション落選後、渋谷のクラブなどで歌う生活を送っている最中にEXILE加入の話が舞い込み、2001年にSHUNと共に加入した。
2004年12月、EXILEでの活動と並行して、4人組コーラスグループ「COLOR」を結成(2006年12月にメンバーチェンジし自身は脱退、プロデュースに専念)。
また、2006年3月11日放送の「恋のから騒ぎ」(日本テレビ)に初めて一人で出演するなど、多彩な活動をしている。
坊主頭がトレードマーク(デビュー時〜2003年5月頃までは坊主頭ではなかった)であり、サングラスを着用している。
2006年、Boyz II Menのアルバム『The Remedy』の日本版ボーナストラックに参加。
☆スピリチュアル・チェック
◎趣味・・・ピアノ、読書。
◎毎日欠かさずにすること・・・瞑想、目を瞑って感謝すること。
◎最近、気になること・・・物にこだわり過ぎてしまう。
◎心惹かれるもの・・・ネイティブアメリカンの物。
◎不思議な体験・・・須藤元気さんがおっしゃっていたシンクロニシティ(偶然の一致)がかなりたくさんある。
◎将来の夢・・・世界進出。
☆スピリチュアルな世界
◎テレビをつけるといつも「オーラの泉」をやっている。普段はあまりテレビは見ないが、見るといつもやっているため、いつか「オーラの泉」に出ると思っていた。
スピリチュアルな世界については、感じざるを得ない境遇が
かなりある。興味もあり、信じている。
☆シンクロニシティ
◎シンクロニシティ(偶然の一致)をよく感じる。京都に行ったとき、平安神宮に行こうとしていたが、タクシーの運転手が間違えて違う方向へ行ってしまった。上賀茂神社へ着き、お参りをしたら数百年に一度の本堂を公開している時期だった。霊感はあまりないが、神社の中の空気が全然違っているのが分かった。風が吹いて神様が現れたような体験をした。京都の人と話していたら、こんなことは滅多に無い、完全に導かれたね、と言われた。
次の日、京都で桜吹雪を見た。1日ずれていたら見れなかった。雪のように桜の花びらが散っている風景を見て、桜の散る瞬間はなかなか見れない、と思った。
霊感体質とよく言われるが、あまり感じない。誰もが霊的な人なので、感度が良いか悪いか、と江原啓之さん。意識を向けていけば気付くようになる。気魂が純粋で綺麗、と美輪明宏さん。
☆物へのこだわり
◎最近は、物にこだわり過ぎるのが気になる。自分の身を守る物、パワーを発揮できる物が常に無いと落ち着かない。クリスタル、無農薬のシャンプー、食事(玄米)など。敏感な体質のため、合わないものを体に取り入れるとすぐに異変が起きてしまうため。
こだわり過ぎてしまうため、自分が正しいかどうか分からない、とATSUSHIさん。世の中は美意識に対して無頓着だが、美意識に基準を置いているのは、精神的に健康、と美輪明宏さん。
☆ネイティブ・アメリカン
◎高校生の頃からネイティブ・アメリカンの物に惹かれる。ネイティブ・アメリカンのタトゥも入れていた。前世で経験したのではないか、と思う。
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