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江原啓之のオーラの泉・小室哲哉

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    JUGEMテーマ:芸能
     
                ☆小室哲哉さんのプロフィール

    小室哲哉(こむろ てつや)生年月日:1958年11月27日
    出身地:東京都府中市   血液型:o型

    ○学生時代

    音楽の時間に50分で16小節を譜面に書く作曲のテストがあった際、教師が小室の作品を見て「誰かは言いませんけどこの中ですごく上手な人がいました」と言った後、その曲がピアノで披露されて、その曲を他のクラスメイトがリコーダーで吹いた。小室は当時を振り返り「目立ちたくない時期だったためものすごく嫌だった」「だけど自信にはなりました」と語っている。日本万国博覧会でシンセサイザー・冨田勲の存在を知り、衝撃を覚える。

    家にあったギター・ヴァイオリン・エレクトーンを家族に無断で売り、当時16万円以上したというシンセサイザー「ローランドSH1000」を購入した。渡辺美里の1stアルバム「eyes」に収録されている「きみに会えて」・TM NETWORKの4thアルバム「Self Control」に収録されている「Here, There & Everywhere (冬の神話)」の雛型をその頃に作曲したという。

    早稲田実業学校高等部商業科に入学。小室の作曲テクニックにクラスメイトが憧れる余り、クラスメイトの半数以上の作曲の宿題を肩代わりさせられた。音楽担任は小室が卒業するまで気づかなかったという。

    早稲田大学社会科学部に進学し5年ほど在籍、その途中にプロ・ミュージシャンとしての活動を開始する(哀婉・あのねのね、白竜、原田真二等のバックバンド(キーボードを担当)、SPEEDWAYへの参加等)。その後、音楽活動に没頭していた・授業料を楽器代に使い廻していた為に単位がとれず除籍。

     ○TM NETWORK〜TMN時代まで

    1986年に渡辺美里へ提供した「My Revolution」が第28回日本レコード大賞金賞。自身の音楽ユニットであるTM NETWORKは、1987年に発表した「Get Wild」で一躍人気バンドとなり、1988年には第39回NHK紅白歌合戦に出場。

    自身のバンド活動と平行して、渡辺美里をはじめ、岡田有希子、荻野目洋子、おニャン子クラブの福永恵規、堀ちえみ、中山美穂、松田聖子、小泉今日子、宮沢りえ、観月ありさ、牧瀬里穂、中森明菜などに楽曲を提供し、作曲家としても活躍する。

    1989年に自身がリードボーカルを担当したソロ作の「RUNNING TO HORIZON」、「GRAVITY OF LOVE」が連続でオリコンシングルチャート1位を記録。1985年 - 1992年の間には、アニメーション映画の「吸血鬼ハンターD」、実写映画の「ぼくらの七日間戦争」、「天と地と」、月9テレビドラマの「二十歳の約束」、舞台ミュージカルの「マドモアゼル モーツァルト」の劇中音楽を手掛けた。

    1994年のTMN終了前後から、観月ありさ、篠原涼子、trf、hitomi、内田有紀、H Jungle with t、dos、globe、華原朋美、安室奈美恵、tohko、鈴木あみなど、多数の作詞、作曲、編曲と音楽プロデュースを兼任して行い、1994年から1999年の間に数々のミリオンセラーやヒット曲を打ち立て、その様子から各メディアにおいて、「小室ファミリー」、「小室サウンド」、「小室系」といった独自の名称でカテゴライズされる小室ブームという少年時代からの夢だった社会現象を起こした。(ウィキペディアより引用)



              ◎スピリチュアル・チェック

    ・小さい頃なりたかった職業・・・ミュージシャン。

    ・好きな言葉・・・恋しさと せつなさと 心強さと。

    ・苦手なもの・・・魚介類。

    ・人生で一番辛かったこと・・・家族が出来てから色々な噂で嫌な思いをさせたこと。

    ・無くなると困るもの・・・奥さん。


              ◎瞬間移動

    イギリス・ロンドンのホテルで寝ていた時、ホテルの階段をすごい勢いで下りた感じがして、ふと気付いたら大阪の十三(じゅうそう)にいたことがある。高速道路の上にいて危なかった。その後、また瞬間移動でイギリスに戻った。


        
            ◎江原啓之さん、美輪明宏さんとの関係



    美輪明宏さんとは初めまして。美輪明宏さんの声は倍音がすごい。メジャーコードなので心地良い。倍音とは、人の声の違いを明らかにする高い周波数の音。

    江原啓之さんとも初めまして。江原啓之さんの声は、BPMテンポが決まっているのが素晴らしい。江戸っ子のテンポ、と美輪明宏さん。ブレスのタイミングがきれいで、すごくリズミカル。


                  ◎音楽

    3歳でバイオリンを始めた。父親は音楽に反対していた。聴くのはギリギリ許されていた。父親とは、10年近く話もしなかった。

    1970年、大阪万博で冨田勲さんのシンセサイザーミュージックを聴き、衝撃を受けた。中学3年の時にシンセサイザーを購入。音が漏れないように、ヘッドフォンをして弾いていた。

    音楽をちゃんとやりだしたのはプロになってからと小室哲哉さん。譜面も読めなかった。コード譜は読めるが、今でも楽譜は読めない。音楽理論で作る人は売れないと美輪明宏さん。感性が邪魔されないため。

    1986年、渡辺美里さんに提供した「My Revolution」がヒット。作曲家として注目された。

    1987年、TM NETWORKの「GET WILD」がヒットして人気グループに。
    1993年、trfをプロデュース。
    1994年、篠原涼子さんに「恋しさと せつなさと 心強さと」を提供。
    1995年、安室奈美恵さんに「Body Feels EXIT」を提供。

    その後は、CD売上枚数1億7000万枚を突破。レコード大賞4年連続受賞など、音楽史上に残る記録を打ち立てた。長者番付では全国で4位になった。しかし、ステージ以外での小室さんの表情は暗かった。

    1995年、「globe」を結成。
    1997年、安室奈美恵さんの「CAN YOU CELEBRATE?」がヒット。プロデューサーとして絶頂期に。

    年間90曲、4日に1曲のペースで曲を作っていた。スタジオにこもりっぱなしで、2度の離婚を経験。プライベートな生活は無いも同然だった。当時は本当に笑っていなかったと小室哲哉さん。


                 ◎先祖の霊

    KEICO(KCO)さんと出会ってから、お互いに知らない他界した人がいて、藤色のカーディガンを着ていた。KEICOさんに関わりがある人(先祖の霊)。時々いる感じがすると小室哲哉さん。

    霊を追求すれば小室哲哉さんは私と一緒と江原啓之さん。霊に質問をすれば、名前やどういう人だったかが分かるはず。なさればいいと美輪明宏さん。


                ◎オーラの色

    当時とはオーラが違うと江原啓之さん。当時はドス黒い赤のオーラ。自分のことを考える時間が無く常に音楽を作ることしか考えていなくて、時間に追われていた。

    今は、穏やかなきれいな紫のオーラ。内観(人生を見つめる時間)が持てている。全然、別人と江原啓之さん。

    当時はまともに寝てもいなかったと江原啓之さん。夢か現実か分からない状態だった。記憶から抹消したいことが多いと小室哲哉さん。


              ◎KEIKO(KCO)さん

    ずっと笑いの無い人生だったと美輪明宏さん。よく頑張って生きてこられたと江原啓之さん。何回もダメかなと思ったことがあると小室哲哉さん。

    孤独が怖くて大勢の中にいたいのに、コミュニケートさせるとうるさいと美輪明宏さん。大勢の中に1人でいたい。コミュニケーションを望んでいない訳ではないが、時間が無いことが続き、家族や友人の代わりは鍵盤と歌詞だった。

    KEIKOさんと出会うまで、人との会話ができていなかったと
    江原啓之さん。無かったと小室哲哉さん。

    奥さんから見ると、自分は完全に子供と小室哲哉さん。人間を信じることが出来た初めての人と美輪明宏さん。

    奥さんの家族を含めての結婚だから全てを得たと江原啓之さん。奥さんと家族を一気に手に入れて新しい家に生まれた気分。人生がまるで変わった。その通りと小室哲哉さん。今までの孤独へのご褒美と江原啓之さん。

    初めて親や親戚の成り立ちなどを学んだ。お祭りやお盆、花見などの行事も新鮮に感じたと小室哲哉さん。現代の申し子みたいな方と美輪明宏さん。衣食住に全くこだわりが無かった。

    KEIKOさんのお父さんは、本当に息子にしてくれたと江原啓之さん。今までは家族関係から逃げてばかりいたが、今度は逃げたくないと小室哲哉さん。家族の中に入りたいという気持ち。

    KEIKOさんの父親は、2007年11月に他界。病院へ行った時、最後に言葉をかけてくれたのは小室哲哉さんだった。今までなら一歩さがっていたはずなのに、一番前で「みんな、お父さんにありがとうって言え」と叫んでいた。

    無償の愛と江原啓之さん。今まで逃げていたのは無償の愛じゃなかったから。代償を求められていたから逃げていた。

    父親からの一番のプレゼントは、無理やり食べさせられた事と江原啓之さん。とにかく食べろ食べろと毎日言われていた。ふぐ屋さんだったが、魚介類が食べられないので父親は最終的に素麺にして食べさせてくれた。それまでは、米もまともに食べていなかった。それが形見と美輪明宏さん。

    父親は亡くなり方を気に入っていると江原啓之さん。潔く散ることができたから。自分は満足しているが、みんなは早過ぎると言っている。苦労があった方が自分のものになると父親は言っている。

    孤独な魂の末に無償の愛に辿り着いたと江原啓之さん。アーティストとして極めることは自動的だったが、家族や愛情を得るには時間がかかった。無償の愛を得るために生まれてきたと美輪明宏さん。

    無償の愛とは見返りを要求しないこと。何をされても全てを受け止め、相手の幸せを願う。



                 ◎作曲



    色々な賞を受賞して嬉しかったが、それが目的で頑張ったのでは無く流れだったと小室哲哉さん。曲を作り以外の時間はほとんど無かった。音楽に対する愛情だけは消したくなかった。

    作曲している時が自分と対話している時間だったと江原啓之さん。歌詞はほとんど自分の事と小室哲哉さん。独り言の究極の形で音楽と接していた。自分のエネルギーが曲として出た。


                 ◎前世

    前世は女性歌手。ヨーロッパのクラシック。すごく歌っていて熱心で勤勉で、どれだけ高い声を出せるかずっと訓練していた。それが原因で声を壊してしまい、歌えなくなった。

    女性に提供する曲が多いのは、張りつめた美しい高音で女性に歌わせたい、という思いがあるから。歌手泣かせの難しい曲が多い。面食らうような転調の仕方と美輪明宏さん。

    まるでマリア・カラスのような人生と美輪明宏さん。マリア・カラスは、20世紀最高のソプラノと言われたオペラ歌手。少女時代は母親から愛されず、大富豪との恋愛と別れを経験し、生涯家族に恵まれずに他界。歌で表現することに生き、歌手として成功することで親に認められようとした。

    今世では音楽を作って表現し、現代を象徴する役割を持っていると江原啓之さん。発信する役目がたくさんある。




    江原啓之のオーラの泉・檀れい

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             ☆檀れいさんのプロフィール

      檀 れい(だん れい)1971年8月4日
      日本の女優、タレントで、元宝塚歌劇団月組、星組トップ娘役である。本名、及川 まゆみ(おいかわ まゆみ)。
      松竹エンタテインメント所属。芸名は自身の本名である「まゆみ」にちなんでおり、同音の樹木・檀(マユミ)に由来している。夫は歌手・俳優の及川光博。

      兵庫県浜坂町(現在の新温泉町)に生まれる。幼稚園時代に学芸会で褒められたことがきっかけで、高校時代にファッション雑誌の読者モデルを経験するなど、人前に立つ仕事に興味を持つようになる。兵庫県立浜坂高等学校を卒業。

      1990年、宝塚音楽学校入学。1992年、第78期生として宝塚歌劇団入団。入団時の成績は40番(最下位)。雪組『この恋は雲の涯まで』で初舞台を踏む。

      1993年に月組に配属後、1997年に雪組に異動。それまで大きな役が付くことはなかったが、1998年『浅茅が宿』新人公演最後となる入団7年目で初めてヒロインに抜擢され、翌年より真琴つばさの相手役として月組トップ娘役に就任。2度の中国公演に参加し「楊貴妃の再来」という最大の賛辞が送られた。北京語でのソロも披露した。

      2001年の真琴退団後は専科へ異動となり、外部出演等を経て、2003年には湖月わたるの相手役として、星組トップ娘役に就任。『王家に捧ぐ歌』のアムネリス、『花舞う長安』の楊貴妃などが当たり役となった。2005年、『長崎しぐれ坂』をもって退団した。

      退団後は女優として新たなキャリアをスタート。2006年12月に映画『武士の一分』で銀幕デビューを果たす。日本アカデミー賞優秀主演女優賞をはじめ、数々の映画賞を受賞。

      2009年6月9日より舞台『ゼブラ』に4姉妹の次女役として出演予定だったが、鉄欠乏性貧血のため降板することとなった。

      2010年3月30日より、NHKで放送された『八日目の蝉』で、ドラマ初主演を務めた。

      2011年7月27日、歌手・俳優の及川光博と結婚した。

      2012年、宝塚歌劇団退団後初めてCDアルバムに参加した。参加したのは、遊佐未森のアルバム『淡雪』(ウィキペディアより引用)


                ◎スピリチュアル・チェック

      ・人生の転機・・・宝塚に入ったとき。

      ・怖いもの・・・人。

      ・海外で心惹かれる国・・・昔の中国。

      ・よく見る夢・・・なぜか分からないが、よく夢に出てくる街がある。

      ・今の心境・・・緊張してます。


                ◎前世

      前世の共通点は女の園、と江原啓之さん。

      前世は、中国の宮廷にいた女性。信仰心があり、仏のようになりたい、とずっと思っていた。女性の業を取りたいため。女性ゆえの苦労に翻弄されていた。

      心休まるのはお堂だった。檀れいさんは、お香の中にいる感じ、と江原啓之さん。お香の匂いは大好きで落ち着く、と檀れいさん。

      芳香現象、というのがある、と江原啓之さん。お香を焚いていないのに、香りがする心霊現象。過去世からの信仰の力。檀れいさんには霊的能力もある。

      前世では、京劇の女形役者のような格好をしていた、と美輪明宏さん。
      宝塚では、楊貴妃をしたことがある、と檀れいさん。楽しく演じられ、観客にも好評だった。

      前世では、罪を犯している、と江原啓之さん。自分を守るためにやっている。罪を許してもらうため、信仰に向かっている。

      今世では戦わないことの勉強。自分との戦いはあるが、人との戦いからは卒業した。

      解決しないで生きていると、同じ人生を繰り返す、と美輪明宏さん。
      自己分析をして、自己改革をすれば、新しい人生が始まる。

      江原啓之のオーラの泉・哀川翔

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               ☆哀川翔さんのプロフィール

        哀川翔(あいかわ しょう)生年月日:1961年5月24日
        出身地:徳島県徳島市 血液型:AB型

        徳島県徳島市生まれ。海上自衛隊の航空幹部だった父親の転勤に伴い山口県岩国市、栃木県宇都宮市、千葉県館山市を転々。哀川が5歳の時、父親が訓練中に事故死。当時母親は臨月だったため、代わりに哀川が父親の亡骸と対面、遺体を確認したという。この後、母の実家・鹿児島県鹿屋市に転居しその後は鹿屋市で育った。鹿屋市立鹿屋小学校、鹿屋市立第一鹿屋中学校、鹿児島県立高山高等学校、東京工学院専門学校卒業。なお本籍地は生まれて今日までずっと祖父が住んでいた東京都に置いているという。

        専門学校在学中、アルバイトのライターとして飛鳥新社に出入りするようになり、雑誌『ポップティーン』の創刊に携わる。

        路上パフォーマンス集団「劇男一世風靡」に所属し、「一世風靡セピア」として『前略、道の上より』でレコードデビュー。1986年には『青の情景』でソロデビューを果たす。

        1988年、同郷の先輩である長渕剛から出演依頼を直々に受けたテレビドラマ『とんぼ』(TBS)で本格的に俳優デビューを果たし、チンピラ芝居が好評を博す。以後俳優業に専念し、1990年にはその存在感と演技力を高橋伴明に見込まれ、Vシネマ『ネオ・チンピラ・鉄砲玉ぴゅ〜』、映画『獅子王たちの夏』の主役に抜擢される。

        1995年には「あいかわ翔」名義で監督デビュー。助演男優として『棒の哀しみ』や『うなぎ』といった話題作での好演も評価され、テレビドラマやテレビコマーシャルへの出演機会が増え始める。2004年に出演した映画『ゼブラーマン』で主演作品100本の快挙を成し遂げる。

        翌2005年の日本アカデミー賞で優秀主演男優賞を受賞。近年は内村光良との共演をきっかけにバラエティ番組にも出演。

        2010年6月4日(ムシの日)に孫が誕生した。

        妻(元女優・青地公美)とは六本木のカラオケ屋「弐壱」にて武蔵丸の昇進パーティーに参加した際に出会った。青地はその日、矢沢永吉の奥さんとパーティーに来ていた。哀川は青地に一目惚れし声を掛けたが、当時真っ白なスーツと黒いサングラスという格好だったため、誰なのか分からず怖くなった青地は、その場を去って別の店に行ったという。哀川は、「まだ、そんな遠くに行ってないはずだから探せ!」と後輩や仲間に声を掛けて、六本木近辺を探させた。そして、別の店にいた青地を見つけ「帰るんなら帰るって言えよ、バカヤロー!」と言ったとのこと。その出会いをきっかけに同棲をすぐ始めたという。青地は離婚歴があり子連れだったため、結婚した途端に3人の子供の父親となった。大変子育てに厳しく、「うちは家族じゃないんだ。族だから」と語る通り、約束した時間に遅れるなどすると容赦なく鉄拳制裁。「嘘をつかない、人の物を取らない、人を傷つけない」の三原則を破ると「半殺し」だと言う。そして、家は、「溜まり場」であり、心地よくしなくてはいけないと教える。その反面、大変子煩悩の一面もあると言われる。(ウィキペディアより引用)


               ◎スピリチュアル・チェック

        ・性格を一言で言うと・・・短気。

        ・座右の銘・・・早寝早起き。

        ・生活の中でこだわっていること・・・水。

        ・最近のマイブーム・・・カブトムシ。

        ・人生の転機・・・結婚。

        ・不思議な体験・・・心臓が2回止まった。

        ・将来の夢・・・長生き。

                   ◎前世

        前世では奥さんと何回も会っている、と江原啓之さん。見えただけで3回の前世で会っている。一度は夫婦になれなかったが恋愛をしている。その前は母親だった。奥さんから言われることは、腑に落ちるし、慰められる。

        前世で結ばれなかったのは桜の頃、と美輪明宏さん。哀川翔さんは桜を見ると、楽しくも悲しくもなる。花見があまり好きじゃない、と哀川翔さん。桜が満開のところで

        江原啓之のオーラの泉・市川海老蔵

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                 ☆市川海老蔵さんのプロフィール

          十一代目 市川 海老蔵(じゅういちだいめ いちかわ えびぞう、1977年12月6日 - )は、日本の俳優、歌舞伎役者、名跡「市川海老蔵」の当代。本名は堀越 孝俊(ほりこし たかとし)。屋号は成田屋。定紋は三升。異名に「海老様」がある。

          一声、二顔、三姿という、元祖「海老さま」の祖父・十一代目市川團十郎譲りの資質を揃えた役者。市川宗家の御曹司として、近年その活躍ぶりは目覚しいものがある。古典の大役に挑み、初役づくしの中でいずれも周囲の期待を上回る出来栄えを見せた。現代の歌舞伎を担う若手スターの一人。また、NHK大河ドラマ『武蔵MUSASHI』で主役をつとめるほか、現代劇にも挑戦している。

          歌舞伎座で『源氏物語』の春宮で初お目見得。
          1985年5月 歌舞伎座で『外郎売』の貴甘坊で七代目市川新之助を襲名。
          1996年3月 青山学院高等部から堀越高等学校に編入。
          1997年3月 堀越高等学校を卒業。

          2000年 歌舞伎座で『源氏物語』の光君を演じ、会場は連日満員、チケットは発売初日に完売するほどの人気を得る。五代目尾上菊之助、二代目尾上辰之助とともに「平成の三之助」と呼ばれ、新たな歌舞伎ブームを起こす。

          2003年2月 TM NETWORKの木根尚登によるプロデュースでデビューした日置明子(当時29歳)との間に、女児(当時1歳)の隠し子がいることが判明。子供を認知して養育費を支払っていることを会見で説明。

          2004年4月4日 成田山新勝寺で襲名披露、奉告のお練り。京成本線京成上野駅〜京成成田駅間で運行された列車「海老蔵号」に乗車した。また記念パスネットカードも販売される。

          2004年5月 歌舞伎座にて、『助六由縁江戸桜』の助六、『暫』の鎌倉権五郎ほかで十一代目市川海老蔵を襲名。

          2004年6月30日 成田山大阪別院明王院で襲名披露奉告。京阪本線天満橋駅〜香里園駅間で列車「海老蔵号」が運行。

          2004年10月 パリのシャイヨー宮劇場にて、市川新之助改め十一代目市川海老蔵襲名披露フランス公演。同国政財界のトップも観劇し、ルモンド紙が一面全面を使って「17世紀末以来の日本の伝統的演劇の中で名をとどろかせてきた一族の出身」「26歳のスター」「若くて美男で特に“必殺の視線”を持っている」と報じるなど、現地でも大きな話題を呼ぶ。

          2005年12月 女優の米倉涼子との交際が破局。

          2006年9月7日 映画『出口のない海』の宣伝も兼ねて、『クイズ$ミリオネア』(フジテレビ)に出演。
          2007年3月9日 タレントの佐藤江梨子と3ヶ月の交際の末、破局。

          2007年3月 パリ・オペラ座で初の歌舞伎公演と父・團十郎とともに実現。『勧進帳』の「紅葉狩」を披露し、パリ中の絶賛を浴びる。またこのときの弁慶役では、オペラ座の中央通路を花道に見立て、六法をして突っ切るという演出を見せて、観客を驚かせる。

          2007年4月5日 高岡早紀との、都内桜の名所での『手つなぎデート』を、「女性自身」が報じる。

          2007年7月9日 同年4月から交際していた元テレビ朝日社員と、2ヶ月で破局していたことが判明。

          2007年7月13日 楽屋の風呂場で転倒し、割れた戸のガラスで右足の裏を切る大けがを負い、大阪松竹座「七月大歌舞伎」を降板。

          2009年 2007年10月14日に放映された海老蔵に密着したドキュメンタリー番組『名門に生まれるということ…〜市川海老蔵・宿命と苦悩の物語〜』(フジテレビ系)が、ニューヨークフェスティバルのアート部門で金賞を受賞。

          2009年5月23日、TBSの連続TVドラマ『MR.BRAIN』に出演。初の民放の連続ドラマ出演であり、初の現代劇出演となる。

          2009年11月19日、フリーキャスターの小林麻央との交際が『日刊スポーツ』に報じられる。同日中に連名で、結婚を前提に交際、婚約することをファックスで発表。
          フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。

                  ☆スピリチュアル・チェック

          ◎やってみたかった職業・・・お坊さん。

          ◎ストレス解消法・・・天気の良い空を眺める。

          ◎人生の転機・・・17歳の時と最近。

          ◎不思議な体験・・・旅先で不思議な体験がある。

          ◎好きな女性のタイプ・・・料理が上手くて優しい人。

                  ☆スピリチュアルな世界

          美輪明宏さんとは、なかにし礼さんと一緒に舞台を拝見したことがある。楽屋へ挨拶へ行った。10代の頃。
          江原啓之さんとは、初めまして。

          以前、出演依頼があったが、怖くて断ったことがある。今は心境の変化があり、もういいかな、という思いがある。経験することが大事。

          スピリチュアルな世界は、昼間に見えない星のようにあるような
          感じがするが、具体的には何か分からない。信用できるし、できないところもある。最近はいけないな、と思う、と市川海老蔵さん。愛情は形で出せない。最近になって、母親のありがたみを感じる。

          心眼で見る、と美輪明宏さん。心も目に見えないもの、と江原啓之さん。

                     ☆17歳の転機

          子供の頃は、市川家の長男として跡を継がなければならない重圧を
          感じていた。祖父の11代目市川團十郎が早く亡くなり、その30年目に「鏡獅子」の大役をやらせてもらった。それまでは歌舞伎をやるかやらないかを自分自身も分からないままだった。その時に初めて祖父の映像を見て、歌舞伎でこんなにかっこいい人がいる、と一目惚れした。歌舞伎をやろう、と決めた。

          動く錦絵と言われた、と美輪明宏さん。美しくて華がある。単に出るのではなく、登場という感じ。五色の紙吹雪をまいたような感じに見える。

          祖父のような役者になるには、どういうことを意識したら良いか、
          と市川海老蔵さん。素材は持っている、と江原啓之さん。努力が運命を変える。持って生まれた才能(素材)を見極めることが大切。
          素材を持っているから、祖父の映像を見て感じ取れた。


                    ☆不思議な体験

          旅先へ行くと不思議な体験をする。初めてフランスのオペラ座へ行った時、誰もいないのに後ろに常に人が歩いていた。マネージャーに黒い人影が付いてくる、と言ったら、誰もいない、と言われた。その人はオペラ座で働いていた人だと思う、と市川海老蔵さん。その人は「君は絶対、この舞台に立つんだよ」と言ってくれた。その後、実際にオペラ座公演の話がきた。前世に関係のある人だと思う、と市川海老蔵さん。

                       ☆前世

          黒い人影はオペラ座の支配人、海老蔵さんは前世でその支配人に
          お世話になっていた、と江原啓之さん。前世は、ボックス席を持っていた貴族。劇場通いが好きだった。ボックス席は舞台から見て左側の2つ目のブロックの上。

          オペラ座はめちゃめちゃ豪華、と美輪明宏さん。あらゆる国の国王や貴族が来ても、贅沢だと思わないと意味がない、という思いで作られたため。天井画は1964年にシャガールが描き直した。

          前のがいいと思う、と市川海老蔵さん。オペラ座に初めて行った時は、シャガールじゃないイメージがあった。誰かに「前来た時はこの絵じゃなかったよね」と話した。でも、何十年も前からその絵だ、と言われた。魂の記憶、と江原啓之さん。

          前世の中では、スコットランドにいたこともある、と江原啓之さん。剣術が得意だった。ある程度の位を持っていたが、家を捨てている。土着(その土地に代々伝わる)の宗教で、洞窟の中で暮らし、修行をしていた。

          芸術に対しての才能もあるが、市川海老蔵さんは修行僧、と江原啓之さん。僧侶への憧れがあり、常に禅問答をしている。捨てることへの恐怖心が無い。

          葛藤はあるが、やめてもいい覚悟がある、と市川海老蔵さん。子供の頃から、捨ててもいい、と思っている。それがある意味危険、と江原啓之さん。

          舞台に立つのはお客さんのためもあるが、自分との戦い。若い頃は特にそうだった。

          日本にいた前世もある、と江原啓之さん。山伏をやっていた。市川海老蔵さんは火を見るのが大好きで落ち着く。護摩を焚いていたから。

          お不動様(不動明王)は後ろに火を背負っている、と美輪明宏さん。市川家は成田山新勝寺を信仰。本尊は不動明王。

          子供が親を選んで生まれて来る、と江原啓之さん。父親は基本・型の人。市川海老蔵さんは、それを全て壊すタイプ。意味や理由があり、臨機応変すべき、という考え方。父親がいるから、常に基本を頭から離さない。父親が違う人だったら、訳が分からなくなる可能性があった。市川家に生まれたのは、型の中で自分を活かすため。

          江原啓之のオーラの泉・はるな愛

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                   ☆はるな愛さんのプロフィール

            はるな 愛(はるな あい、1972年7月21日)は、サンズエンタテインメント所属のニューハーフタレント、お笑いタレント、歌手、女優、ファッションモデル、実業家。エンジェル・ラブ株式会社代表取締役。

            物心ついた頃から自分が女性だと意識していたという。小学生時代から、女装してものまね番組などに出演。その際の字幕スーパーでは「大西賢治」(本来の字は賢示)と表示される。持ち歌は松田聖子の「Rock'n Rouge」など。1985年3月3日放送の『全日本ちびっこ歌まね大賞』(テレビ東京)では、森進一の「北の蛍」を歌って優勝している。

            1989年、福井県の九頭竜湖で行われた英語学校の夏季キャンプ(小学生向け)で、未来派少年大西賢示としてリクリエーションにゲスト出演している。この際に、男子高校に通っていたことを話している。また、同年5月25日には大西ケンジとして「チャンス」でレコードデビューを果たしている。

            中学生時代はいじめに遭っていた。いじめっ子から避ける為に、ギリギリまで登校しなかったり、昼間は喫茶店にいたりしていた。また、いじめっ子から避ける為に、いじめから守ってもらう代わりに不良グループのパシリであったという。この経緯から勉強はほとんどしておらず、中学時代の成績は悪かったという。このころからニューハーフになろうと思っていたという。また、弟がはるなの箪笥の中身が気になり開けてみると、女性物のカラフルな下着が数枚入っているのを見つけたことから、弟はこの頃から、兄が女性になりたいという気持ちがあることは知っていたが、親には話さなかったという。

            高校を中退後、しばらくして、1991年、ショーパブ「Tootsie」梅田店で働く。性同一性障害であり、ニューハーフとして働いていることを父親に告白。

            1995年、大阪市・わだ形成クリニックにて性別適合手術を受け、身体的に完全に女性となった。しかし、戸籍上の名前は現在も「大西賢示」のままである。これは、「男性と結婚するまで大西賢示でいることが親孝行だ」からだという。声に関しては、元々は女性アイドルの曲を原曲キーのまま歌え、話声も女性と同じ高さだった。しかし、度重なる酷使の為に声帯にポリープが出来てしまい、一時期声が出なくなってしまった。その影響により、かなりのかすれ声である。また、『上岡龍太郎がズバリ!』でMr.レディーに出演し、「家なき子」のパロディー版「玉なき子」で相沢すずの役を演じた。

            1996年頃、春菜愛名義で、『快傑えみちゃんねる』(関西テレビ)にレギュラー出演。以後はアイドル系美形ニューハーフとして、テレビ番組のニューハーフ特集やものまね番組に顔を出している。また、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)などにも出演し、メディア露出が多くなる。素人扱いとしては、『ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャーこれができたら100万円!!』(テレビ朝日)のファイナル電流イライラ棒に一般のチャレンジャーとして登場している(チャレンジ中、アナウンサーから「実は男性です」と紹介された)。

            1998年、東京のタレント事務所に所属、上京。DDTプロレスリングで世界初のニューハーフ・マネージャー・デビュー。この頃の芸能界はニューハーフブームが下火となっていた為にタレントとしての活動はほとんど出来ていない。だが、男性であることを隠して働いていたレースクイーンの仕事などで蓄えた貯金でスナック店を開業するなど、事業家として活躍するようになる(現在は、バー1店、鉄板焼き店を2店経営している。鉄板焼き店を経営しているのは、実家が以前お好み焼き店を経営していたことがきっかけ)。

            2005年、MEGUMIが恥骨骨折で入院した際、病院で献身的に看病をしたことから野田社長の目に留まり、サンズエンタテインメントに移籍。現在の名義に変え、タレント活動を再開する。

            2007年、陣内智則・藤原紀香夫妻の結婚披露宴の2次会でエアあややを披露、その場に居合わせた業界人の注目を集め、モノマネ芸人(あてぶり芸人)として活動するようになる。持ちネタは、松田聖子・松浦亜弥・島谷ひとみ・ビヨンセ・藤本美貴・ホイットニー・ヒューストンなどのモノマネと、横向けにしたVサインを目頭から目じりに移動させて「よろしくピース」などのギャグ。口癖は「言うよね〜」。最近はそれを始めとして、いろいろな「○○よね〜」を言うようになっている。

            2007年、『ミス・インターナショナル・クイーン(Miss International Queen)2007』(ニューハーフ世界のミスコン)に出場し、第4位になる(このコンテストに出るため、審美歯科的治療をしている)。

            2008年、下半期頃から大ブレイク。骨髄バンク職員の役で舞台『IMAGINE 9.11』に出演。

            2009年、1月3日に放送された『週末のシンデレラ 世界!弾丸トラベラー』(日本テレビ系)にてパスポートが映った場面で、一部ぼかしがかかっていなかったため1972年7月21日生まれであることが発覚した。この事実を2009年1月20日発売の『週刊女性』(主婦と生活社)ではるな本人が認めた。

            2009年、『ミス・インターナショナル・クイーン 2009』に再挑戦し、優勝した。前哨戦である『Angel of Talent contest』でも優勝し、2冠に輝いた。日本人の優勝は初めてで、賞金1万ドルを獲得。
            フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。

                    ☆スピリチュアル・チェック

            ◎よく見る夢・・・人に追われて命を落とす夢。

            ◎最近恥ずかしかったこと・・・新幹線の中で寝た時、男級のいびきをかいたこと。

            ◎苦手なもの・・・ヘビ。

            ◎一番欲しい物・・・レギュラー番組。

            ◎一番辛かったこと・・・中学生の時にいじめに遭ったこと。

            ◎不思議な体験・・・父方のおばあちゃんが亡くなった時、偶然同じ時間帯に家のチャイムが鳴り、出て行ったら誰もいなかった。


                      ☆自分の居場所。

            小学生の頃は、野球少年チームに入っていた。父親が男らしくするために入れていた。キャプテンは、はるなさんの初恋の男の子だった。

            一番辛かったことは、中学生の頃にいじめに遭ったこと。女の子の格好をしてテレビに出ていたので、ターゲットになってしまった。
            学校では、わざと男っぽく演じていたが、それが鼻についてしまった。
            両親に相談はできなかった。悲しんでいる姿を親に見せたくなかった。人を非難するのは、自分はまともだと確かめたいから、と美輪明宏さん。いじめられている人は原因は自分にあると思いがちだが、自分を責める必要は無い。
            いじめる人は劣等感の塊。いじめない人は豊かな精神の持ち主。自分に自信を持っている人は他人をいじめない。

            いじめを受けていた頃、ニューハーフの男性と出会った。お店に連れて行ってもらい、初めて自分の生きたい世界が見えて楽になった。学校でのいじめも少なくなってきた。隠そうとするといじめる側は暴きたくなる、と江原啓之さん。覆面レスラーの覆面と同じ。
            開き直ると、突付かれなくなる。

            辛い経験が無駄にならずに今がある、と江原啓之さん。経験と感動が人格を作り、人々の心に響いて、慕われる。苦労が分かる人は、黙っていても分かる。

            東京に来ても仕事が無かったため、レースクイーンのアルバイトを
            していた。年齢は4歳サバを読み、女性として応募したら、合格した。声でバレないように、一人ぼっちでいた。走る時の動作と声で、男だとバレてしまった。その仕事は辞めた。


                      ☆おばあちゃん

            小さい頃から孤独の中にある、と江原啓之さん。おばあちゃんが一番の理解者だったはず。無償の愛で受け入れてくれていた。

            人に追われる夢をよく見るのは、思い癖の夢、と江原啓之さん。深層心理が表れる夢。自分のこと、家族の調和など。大人の顔色を伺っていた。小さい頃から、演じることが皆のためになることだ、と思っていた。父親のために野球をやったり、など。小さい頃から孤独な大人、と美輪明宏さん。

            おばあちゃんは今もそばで見守っている、と美輪明宏さん。おばあちゃんが全てをコーディネートしていて、事務所も変えさせてくれている。それがきっかけで、道が開けている。早いうちに芸能界で成功すると、精神力がついていかない為、苦労をさせていた。小さい頃からの苦労、心が女性、ということはおばあちゃんも分かっていた。
            おばあちゃんは、先が見えなくなっている、とおっしゃっている、
            と江原啓之さん。守りに入っていて、ひたむきな気持ちを失っている。気持ちを整理することが大切。孤独だったことを受け入れて、そこから変えていくこと。

            愛されたい気持ちが強い、と江原啓之さん。それで今まで失敗してきている。お節介が仇になり、悪く言われてしまう。相手のためにやっていたつもりが、自分のためだった。八方美人になっていた。
            怖いから笑顔を振りまいていた。

            両親はよく夫婦喧嘩をしていた、とはるな愛さん。争いごとが嫌で、生活も豊かではなかったため。道化になっていた、と江原啓之さん。喧嘩をしているのは、豊かではないからだ、自分のせいだと思い込んでいたため。心が豊かなら皆楽しいはず。それでも繋いでこれたのは、おばあちゃんから愛情を込められていたから。

            女の子になりたいと、おばあちゃんには言えなかった。ニューハーフになった頃、おばあちゃんが倒れてしまった。脳の病気のため、お見舞いに行ったら、泣き崩れてからすぐに天井を見上げてポカンとしてしまう。天井を見上げている時に、こういう生き方をしているけど、幸せだからね、と言っていた。
            おばあちゃんは、欲しがる物が違った、とおっしゃっている。欲しがる物が着せ替え人形や塗り絵だったため、初めから分かっていた。おばあちゃんにとっては、男でも女でもどっちでも良かった。
            可愛いのは孫。

            強烈なファザコンとマザコン、と美輪明宏さん。父親と母親を恐れ憎む気持ちと同じだけ愛している。愛憎の気持ちを両方持っている。

            1993年、両親は離婚している。
            母親とは毎日電話し、父親と一緒にお酒を飲むこともある。

            テレビの企画で父親と一緒に旅行に行った。その時、父親は「こういう風に息子と酒を飲みたかった」と言われた。それを聞いた時、憎しみの気持ちが全て消えた。

            16歳の時、父親にニューハーフとして生きて行くことを告白した。
            怒られると思っていたが、「よし、分かった」と言われた。人生は後悔したらあかんぞ、と言ってくれた。

            今は親離れ子離れ、と江原啓之さん。引きずるのはやめること。親も子も人間同士のため、親を美化せずに等身大で見ること。親から愛されたい自分を演じるのは止めること。自立すること。

            江原啓之のオーラの泉・飯島愛

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                      ☆飯島愛さんのプロフィール

              ○飯島 愛(いいじま あい、本名:大久保 松恵(おおくぼ まつえ)、1972年10月31日 - 2008年12月)は、日本の元タレント・元AV女優。東京都江東区出身。滝野川女子学園高等学校中退。

              元ワタナベエンターテインメント所属。身長163cm。血液型:A型。


              ○1992年、AV女優となる。

              ○本名が「大久保松恵」であることは2007年4月8日放送分の『ウチくる!?』にて、中山秀征により公表された(その後、2007年5月2日に自身のブログでもさりげなく公表していた)

              ○生年月日は、当初は1973年8月25日と公表していた。本人の弁によれば、デビューしたのが夏で、すぐに芸能界からいなくなるからその前に誕生日が来ればプレゼントがもらえると思って8月生まれと言った、とのこと。その後も、1973年8月25日生とする資料がある。

              ○芸名は水商売時代、所属していた店のママが「みんなから愛される子になるように」という願いを込めて「愛」という源氏名を付けてくれたことによる(自著「プラトニック・セックス」より)とあるが、以前テレビ番組で「ラブ」という源氏名を自らつけたことを告白している。「本名が垢抜けないから好きではない」と、思い切った名前をつけた。その後に勤めることになったクラブのママが「ラブ」を転じさせ「愛」にするよう指導し、理由は後付で、客に紹介する際に「みんなから愛され〜」のくだりが確立された。

              ○芸名に「飯島」という姓がつけられたのは、当時の所属事務所社長(オフィスレオ)が飯島直子の大ファンだったため。飯島直子側はこれを快く思っていないと報じられることが多く、「W飯島」と括られることもあるが共演はほとんどなかった。しかし飯島直子が2006年10月に「ウチくる!?」に出演した際、両者の不仲説を明確に否定した。なお、この2人の数少ない共演として1994年10月30日の日本テレビ系『スーパージョッキー』がある。

              ○1990年代前半、とんねるずのみなさんのおかげですのスタッフととんねるずの木梨憲武が、飯島のビデオのファンであったことから番組にハプニングゲストで出演(これがテレビ番組初出演になる)

              ○1990年代前半、深夜番組「ギルガメッシュないと」(テレビ東京系)で、スカートをめくり、世の男たちに活力をあたえた。『Tバックの女王』と呼ばれる。その後、次第に大人の女性としてトーク番組等でバラエティタレントとして活躍していた。タレント活動時は気だるく重い口調が特徴だった。

              ○1993年、「ナイショ DE アイ!アイ!」で歌手デビュー。オリコン87位。このCDには飯島が実際に着用したパンティを細かく裁断した生地が同梱されていた。

              ○2000年、半自伝的な小説「プラトニック・セックス」でAV出演や性病感染、整形手術していたこと等をカミングアウトしベストセラーに。映画化やテレビドラマ化もされ、以来作家活動も行っている。週刊朝日にコラム「飯島愛の錦糸町風印税生活」を執筆。また性感染症予防の啓蒙活動でも知られる。

              ○あんたにグラッツェ!・あんグラ☆NOW!にゲストとして呼ばれた回数No.1。奢った金額トータルもNo.1。放映開始1周年を記念した回では伊倉一恵の「本の印税で益々景気がいいに違いない飯島愛さんに、オヤジ三人がおごってもらう」との冷静なナレーションの中、登場早々に高田純次らに「金おろせよ」と言われ、銀行のATMから100万円を引き出す。途端にオヤジ三人のテンションは高くなり、「よし、100万円全部使い切るぞ!」「俺達いい仕事するからな」と散々。飯島は抵抗・抗議したが、無論受け入れられず。(エンディングでは、60万円弱を使った旨、明細が出ていた)

              ○更には、番組最終回の打ち上げパーティーと称して高級ホテルの宴会場を借り切った際、実は招待客にパーティー費用を支払わせようという魂胆を知らされずに会場へ登場。総額100万円をあわや飯島一人で支払わされそうになった。

              ○ゲスト出演から準レギュラーを経てレギュラーになる事が多かった。例としては「スパスパ人間学!」、「決定!これが日本のベスト」、「ロンドンハーツ」等がある。

              ○胸や顔の整形等についてカミングアウトしていて、自らのスッピンネタ等自虐系の発言も時々する。そのメイク技術はテレビ番組『くりぃむナントカ』でも、「飯島さん、メイクの本を出すべきですよ!」と言われたほどだった。

              ○2005年にブログを始める。同年、ネット配信番組に連動した株取引に関するブログも、短期間公開された。

              ○2006年11月11日、個人事務所の経理担当の人間から数千万円もの横領被害に遭ったことをブログで告白した。

              ○2007年3月31日、所属事務所から正式に芸能界を引退することが発表された。

              ○2008年12月5日、最後のブログを更新する。

              ○2008年12月24日、東京都内のマンションで死亡しているのが発見された。

              ○2007年3月3日、芸能界引退の報道が、流れる。

              江原啓之のオーラの泉・千原ジュニア

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                      ☆千原ジュニアさんのプロフィール

                千原ジュニア(ちはら - 、本名:千原 浩史(ちはら こうじ)、1974年3月30日 - )は日本のお笑い芸人、俳優。コンビ「千原兄弟」のボケを担当。京都府福知山市出身(本籍は父親と同じ京都府舞鶴市である)。京都共栄学園中学校卒業。NSC8期生(卒業はしていない)。2005年、芸名を千原ジュニアに正式に改名。

                ○小学校時代は勉強もでき、私立中学を受験して合格。しかし進学校の空気になじめず、登校拒否、引きこもりとなる。高校には進学したが、相変わらず引きこもりを続けていた。

                ○お笑いの世界に入ったきっかけは、先にNSCに入学していた兄の千原せいじから「お前、何もせんと家におんのやったら、俺吉本(NSC)にいてるから来いや」と誘われたことである。NSCへ出向いたジュニアは、せいじに「あさってまでにネタつくってこい」と言われ、「ついこの間まで引きこもってた奴になんちゅうことさせんねん」と思いながらも、言いつけどおりにネタをつくり上げた。そのネタで爆笑をとり(本人いわく、たまたまウケただけでそれ以降は大してウケなかったらしい)、そのときのあまりの快感に「俺にはこれしかない」と決意し、高校を中退したという。

                ○NSC入学後は、およそお笑いに関係があるとは思えない授業に辟易して何度となくやめようと思ったが、同期入学であるFUJIWARAの原西孝幸が面白く、彼見たさに通い続けたと後に語っている。

                ○「冠番組を持つと死にかける」という不幸な一面を持っており、急性肝炎とオートバイ事故で2度にわたり生死の境をさまよったことがあるが、無事に復帰して現在に至る。急性肝炎を患った際には、同時期にベイブルースの河本栄得が劇症肝炎で急逝したこともあり、ジュニアも同じ病気ではないかと噂された。なお、これが6年周期でやってきており(肝炎は20歳、事故は26歳)、2007年がちょうど6年目にあたっていたため、「今回は何があんねん」と不安に思っていると番組内で告白した。不安は当たり、この年6月の『ケータイ大喜利』の収録後に、足の指を剥離骨折した。奇遇にも同年10月から、TOKYO MXで冠番組の「千原ジュニアのシャインになりたい」がスタートした。

                ○東京に進出した当初は、松本人志や木村祐一などに連れられてよく遊んでいた。最近では、山本吉貴、佐田正樹(バッドボーイズ)、タケト(Bコース)、堤太輝(どりあんず)、綾部祐二(ピース)、若月徹(若月)、林克治(カリカ)といった後輩を連れて、よく遊んでいる(大阪時代はケンドーコバヤシととくに仲がよく、毎日のように遊んでいたという)。

                ○ダニとハウスダストのアレルギー持ちで、『ジュニアのススメ』の収録中にアレルギーの症状が出たことがある。

                ○板尾創路(いたお いつじ)を慕っており、自らの「笑いの師匠」であると語っている。「板尾軍団」の一員を自称している。なお団員はジュニアのみである。

                ○オートバイ事故にあって集中治療室から出たときには、「もう芸人としてはやっていけないかもしれない。作家や他の仕事をするしかないのか」と悩んだ。しかし、板尾創路、東野幸治、今田耕司、松本人志などの芸人仲間が毎日のように見舞いに訪れ、芸人流の励ましを受けるうちに復帰を決めた。一般病棟に移った後に最初に見舞いに来たのは板尾で、コンビニで買ってきた何冊もの雑誌を無造作に置いて「何してんねん、はよ帰って来い」とだけ言って帰った。いちばん上にあったのは「今度はベスパに乗ろう」という特集コピーの書かれたバイク雑誌だった。このときのことを、ジュニアは「ありえへん」と評している。
                フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。

                      ☆江原さん、美輪さんとの関係。

                美輪さんとは、バラエティ番組で見かけたことがある。

                江原さんとは、初めまして。


                        ☆スピリチュアル・チェック

                ◎小さい頃なりたかった職業・・・ボクサー。

                ◎人生の転機・・・15歳で芸能界に入った時、バイクで事故を起こした時。

                ◎不思議な体験・・・バイク事故の時に臨死体験のようなことがあった。

                ◎一番気になること・・・6年周期で長時間入院するような出来事がある。

                         ☆スピリチュアルな世界

                ☆スピリチュアルな世界は、信じている。5〜6歳の頃、十字路で車がぶつかるから危ないから下がっておこう、となぜか思い、下がっていた。その後、実際に事故が起こった。

                不思議な体験はその他にもあるけど、忘れているだけ、と美輪明宏さん。もっと体験をしているはず。悪運が強い、と美輪明宏さん。


                          ☆引きこもり。

                ◎小学校6年生の頃、突然勉強を始め、進学校として有名な私立中学に合格。学校に馴染めず、友達もできず、中学2年生から引きこもりに。このまま勉強を続けて、その先にあるものでご飯を食べて行く気がせず、ここにいてもしょうがないと思った。しかし、何をしていいのか分からず、部屋で悶々としていた。引きこもりは、約2年続いた。

                兄の千原せいじさんは、先に吉本興業の養成所に入っていた。学校に行っていないなら、と兄に養成所へ呼ばれた。お笑いには興味無かったが、藁をも掴む思いで行った。

                ネタを作るように言われ、何とか作り、兄と二人で稽古をした。授業で発表したら、なぜか受けた。今までたくさんの人の笑い声を聞いたことが無かったため、電気が走るような感覚があり、泣きそうになった。絶対にこの世界にいたい、と思った。お笑いと出会い、引きこもりから抜け出した。


                           ☆バイク事故。

                ◎番組を持つと死にかける、という伝説を持っている。1995年、関西でレギュラー番組を始めた時、突然意識不明になり、急性肝炎で入院。2001年、バイク事故で顔が変わるほどの重傷、4日間意識不明。意識を取り戻したのは、両方とも誕生日の3月30日。

                バイク事故では、1000ccのバイクに乗り、夜の11時半頃にタクシーを避けようとして、石柱に顔から突っ込んだ。鏡で顔を見た時は、顔が腫れ上がっていて、終わったと思った。芸人に戻れるはずがない、と思っていた。意識が戻っても何も考えず、真っ白だった。

                事故に遭った直後は、お花畑が出てきた。先輩のお笑い芸人が走っていて「こっちに来い」と呼んでいた。なぜか分からないが、行ってはいけないと思った。行ったらあの世に行っていた、と江原啓之さん。行かなかったのは、生きたいという思いがあったから。

                ICUから一般病棟に移されたその日から、先輩や後輩が見舞いに来てくれた。すごく嬉しかった。板尾創路さんからは「早く帰ってこい」と言われた。終わったと思っていたのに、何でこんなことを言ってくれるのだろう、と思い、自分はまだ芸人なんだ、と気付いた。

                2001年8月、再び舞台に戻る。観客は待っていてくれて、本当にうれしかった。最後はありがとうございました、と言いながら泣いていた。

                実感することがテーマの人生、と江原啓之さん。勉強して中学に合格しても手応えにならなかったので、引きこもって、手応えを考え直した。初めて手応えを感じたのは吉本の養成所。バイク事故で生きている実感を感じた。

                事故を起こしてから、人生観は変わった。アゴが割れていたので、回復してちょっとした物でも食べられるようになることが嬉しかった。ありがたみは人生の何よりの修行、と美輪明宏さん。健康な人はそのありがたみを何も感じず、当たり前だと思うのは傲慢。感謝を忘れて不平不満ばかり言っているから不幸になる。

                笑いが取れないとお客さんが悪いと思っていたが、たくさんの人と
                笑いを共有したい、と思うようにもなった。攻撃的で傲慢だったのが、悟ったことは大きな財産、と美輪明宏さん。笑いが元気や勇気を与えることを実感した、と江原啓之さん。

                14歳の時に引きこもり、20歳で急性肝炎、26歳でバイク事故、と6年周期で災難が起きている。32歳の時も心配していたが、足の指を骨折した。他の災難に比べれば、小さなことだった。

                6年周期ではなく、本当は3年周期、と江原啓之さん。3年ごとに落ち込むことがあったはず。ただし、年数を気にすることは無い。



                江原啓之のオーラの泉・堂本光一

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                         ☆堂本光一さんのプロフィール

                  堂本 光一(どうもと こういち、1979年1月1日 - )は、兵庫県芦屋市出身の男性アイドル、歌手、俳優、タレント、作詞家、作曲家、シンガーソングライター。 ジャニーズ事務所に所属するKinKi Kidsのメンバー。 血液型・B型。 愛称は光ちゃん、ピカイチ、王子など。 身長・168cm。 東海大学付属望星高等学校卒業。 KinKi Kidsの相方・堂本剛と名字が同じなのは偶然で、血縁関係は無い。

                  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。


                         ☆スピリチュアル・チェック

                  ◎性格を一言で言うと・・・自分に対して嘘つき。

                  ◎得意だった科目・・・理科。

                  ◎気持ちが充実しています、何をしていますか・・・仕事。

                  ◎将来、どんな家庭を作りたい・・・両親が築いたような素敵な家庭。

                  ◎不思議な体験・・・手を見た。母も同じ手を見ていた。


                         ☆スピリチュアルな世界

                  スピリチュアルな世界に対しては、半信半疑。理科が大好きなので、自分で解決したい。

                  シニカル、と美輪明宏さん。皮肉にものを見る所がある。自分自身に対してもそう、と江原啓之さん。自分の悪い面ばかりを見ようとする。


                             ☆性格

                  性格は、自分に対して嘘つき。片付けや掃除は嫌いだが、片付けないと気が済まない。仕事で疑問に思うことがあっても、やるべきことだ、と自分に言い聞かせている。

                  舞台で仕事をしているのは大好き。自分が王様でいられて、確実に自分があるから。自分を表現できる場所。

                  人見知りは激しい。番組ではカメラが回っていると話ができる。カメラが回っていないと話せない。

                  自分のことを語るのが得意ではない。自分のことを一番わかっているつもりだが、わかっていないのかもしれない。自分の思っている自分は、言葉で表せない自分かもしれない。

                  オーディオは大好き。配線に気をつけるように、と江原啓之さん。配線が大好き、と堂本光一さん。電化製品の接続は全て自分で出来る。

                  段取りマニア。効率が良いのが好き。自分が王様で、自分の主体性で生きていられるエリアが好き。一人の場所のほうが好き。


                            ☆不思議な体験

                  金縛りにあったとき、目の前に手が動いていた。明らかに自分の手ではない。恐怖が襲ってきたが、そのまま寝てしまったら、その日は何もなかった。同じ日に東京のホテルで母と姉が寝ていたが、姉はうなされていて、母は壁から手が出ているのを見ていた。兄弟姉妹の絆で察知する一種のテレパシー、と江原啓之さん。

                  沖縄でミイラのようなおばあさんの顔を見たこともある。目だけはすごく怖かった。土地の霊、と江原啓之さん。堂本光一さんは勘が鋭いので、見やすい。


                             ☆堂本剛さん

                  「KinKi Kids(キンキ キッズ)」の堂本剛さんと血縁関係は無いが
                  同じ苗字。初めて会ったのは、横浜アリーナ。ジャニー喜多川さんに紹介された。ジャニー喜多川さんは、縁を結びつける能力がある、と江原啓之さん。

                  堂本剛さんとは先祖の結びつき、と江原啓之さん。先祖を辿ると、助け合っている姿が見える。

                  今でも意識をしなくても助け合っている。性格は正反対だが、持ちつ持たれつの関係。お互いに嫌な部分は反面教師になっている。お互いに分かりすぎるくらい分かるが、寛大でいられる。

                  お互いが出る場所、引く場所は、話さなくても自然とできる、と
                  堂本光一さん。以心伝心。


                  霊を信じたくない、と堂本光一さん。信じて深く関わると、気に病んでしまうため。

                  一番怖かったのは、撮影で熱海に行き、歯を磨きながら鏡を見たら、水色のTシャツを着た人が見えた。何かの間違いじゃないかと思い、歯を磨いていたらまた見えた。それでも信じずに寝ようと思い、電気を消そうとした瞬間に全部の電気が消えてしまった。

                  撮影でカメラが動かなくなったことは、しょっちゅうある。

                  江原啓之のオーラの泉・内藤大助

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                            ☆内藤大助さんのプロフィール

                    内藤 大助(ないとう だいすけ、1974年8月30日 - )は、日本のプロボクサー。WBC世界フライ級王者・元日本&OPBF東洋太平洋フライ級王者。宮田ジム所属。北海道虻田郡豊浦町出身。北海道豊浦高等学校卒。血液型A型。既婚。愛称は「北の剛拳」「最短男」。

                    入場曲は、C-C-Bの「Romanticが止まらない」。これは、内藤がいじめにあっていたとき、C-C-Bのラジオ番組にいじめのことを相談する葉書を出し、それが採用されたことによる。KO率70パーセントのハードパンチャーである。

                    2007年10月の亀田大毅戦での健闘で注目を集めた。

                    フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。


                            ☆スピリチュアル・チェック

                    ◎性格を一言で言うと・・・心配性

                    ◎毎日欠かさずにすること・・・新聞の折り込み広告のチェック。

                    ◎怖いもの・・・母親・ゴキブリ。

                    ◎よく見る夢・・・自分が亡くなる夢。

                    ◎元気の源・・・奥さん・子供・家族といるとき。

                    ◎人生の転機・・・高校卒業後、就職先が決まったが入社式直前に内定取り消しになったこと。



                          ☆ボクシングを始めたきっかけとは・・・

                    幼い頃に両親は離婚し、母親は民宿を切り盛りしながら育ててくれた。小さい頃、運動神経は良かったが体が小さかったため、中学に入るといじめにあった。いじめに負けたくない、と思いボクシングを始めた。

                    クラスのリーダー的な存在のグループの一人に嫌われ、無視、ヒソヒソ話などをされ、蹴られたこともある。ストレスで胃潰瘍ができた。でも、母親には相談できなかった。
                    近くにボクシングジムがあることを知り、ボクシングを始めたらいじめらなくなると思い始めた。

                    身の上相談では、女の子でも合気道くらいやりなさいと言う、と
                    美輪明宏さん。身を守ることができ、自分自身に自信が付く。

                    人生の転機は、高校卒業後に就職先が決まったのに、入社式直前に
                    内定取り消しになったこと。アルバイトをしていた北海道のホテルの厨房に内定が決まっていた。入社式直前に先輩と揉めてしまい上司に厨房以外に変えて欲しいと言った。上司が総支配人に相談した結果、クビになった。

                    母親にはあきれられた。一週間後には、東京で働いている兄の元に預けられた。先輩に反抗していなかったら、東京にも行かず、ボクシングもやっていなかった。



                               ☆母親

                    母親はものすごく怖い。帰るたびに説教をされる。褒められた記憶は無い。プロや世界チャンピオンになっても褒められなかった。

                    母親はいじめに気付いていた、と江原啓之さん。よろよろと帰ってきたり、しゅんとしている姿を見ていた。強く育てないといけないし、生き抜くことに精一杯だったのであえて言わなかった。
                    内藤大助さんも母親に言うことでいじめを自覚するのが嫌だった。


                             ☆引退と現役続行

                    1996年に22歳でプロデビューし、同じ頃にジムのボクササイズに
                    通っていた真弓さんと出会い、2000年に結婚。

                    2002年、世界初挑戦の機会を得るが、チャンピオン・ポンサクレックに34秒でKO負け。

                    2005年、再度王者ポンサクレックに挑むが、負傷判定負け。

                    このとき、負けたら引退、と決めていた。友達とフィリピンのセブ島に引退旅行に行った。スパーリング相手のボクサーのジムを訪問し、「次の試合はいつやるんだ?」と聞かれた。サバサバした姿がすごく印象的で、それを言われてとてもうれしく、また一緒にボクシングをやりたいと思った。日本に帰ってから考え直し、引退しなかった。

                    日本人は情緒的にマイナス思考、と美輪明宏さん。何かあるとすぐに後ろ向きに考えてしまう。日本人は情念を引きずる。

                    内藤大助さんは何事もダメから始まる、と江原啓之さん。いつも「ダメだけどやってみようかな」と思っている。

                    元々は粘り強く、耐えることには自信がある、と江原啓之さん。才能は無いが、追いつくためには人一倍コツコツとやるしかない、と内藤大助さん。母親もそう教えてきた。


                    江原啓之のオーラの泉・武田鉄矢

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                             ☆武田鉄矢さんのプロフィール

                      武田 鉄矢(たけだ てつや、1949年4月11日 - )は、福岡県福岡市博多区出身の歌手、俳優、タレント、作詞家である。本名、同じ。フォークグループ『海援隊』のリーダー。身長170cm。

                      福岡市立板付小学校、三筑中学校、福岡県立筑紫中央高等学校卒業。坂本竜馬の研究を志して高知大学を志すも失敗し1浪を経て、福岡教育大学教育学部小学校教員養成課程に入学するも8年在籍し中退(正しくは除籍)。芸能界で失敗しても大学に戻れるよう母君の武田イクが学費を払い続けていたという。

                      1972年10月25日に、千葉和臣・中牟田俊男らと海援隊でデビュー。当初は全く売れなかったが、武田が母・イク(1998年死去)に向けた詫び状を歌にした「母に捧げるバラード」(1973年)がヒットし、翌年の第31回NHK紅白歌合戦に出場。

                      その後はしばらく低迷したが、映画「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)でのさえない青年役が高い評価を得て俳優としての新境地を開拓。海援隊としても再び注目され、ドラマ「3年B組金八先生」(1979年)のヒットとともに主題歌の「贈る言葉」も大ヒットした。1982年12月、海援隊を解散後はソロ歌手・俳優・作家として活動。歌手活動としては、「男と女のラブゲーム」(芦川よしみとのデュエット)(1987年)、「声援」(「3年B組金八先生」第3シリーズ主題歌)(1988年)などのヒット曲がある。海援隊は1993年4月10日の「ドリームライブ in 福岡ドーム」のために1日だけ再結成され、翌1994年に本格的にグループとしての活動を再開し、現在に至る。

                      フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。


                              ☆スピリチュアル・チェック

                      ◎性格を一言で言うと・・・臆病、不安がるタイプ。

                      ◎小さい頃、どんな子供・・・のどかなぼんやりした少年。空を見たまま動かなくなる、菜の花畑から動かなくなる

                      ◎怖いもの・・・減っていくお客。

                      ◎家族の優しさ、思いやりを感じたとき・・・仕事が順調でないとき、女房からかけられた言葉一番苦労しているときの「周りをしっかり見ておこうね、ここがどうやらどん底らしい」という言葉が胸に響いている

                      ◎人生の目標・・・武田鉄矢になりきること。


                                ☆怖いものとは

                      ◎怖いものは、減っていくお客。2000人満杯だった客が毎月後ろから減っていき、最後には15人になったことがある。歌が企画物と思われ、誰も聞いてくれなくなった。収入がなくなり、奥さんと二人で皿洗いのアルバイトをしたことが
                      ある。奥さんから「周りをしっかり見ておこうね、ここがどうやら
                      どん底らしい、もう上るだけ、もう落ちる心配しなくていいから」
                      という言葉が支えになった。

                      一度実家に帰ったら、母親は話を聞かずにお酒を燗につけていた。
                      父親も呼んで突然「おめでとうございます、乾杯!」と言われた。

                      実家に帰る話もしたが帰ってくるな、と言われた。厄病神が取り付いているような顔になっているから、家族3人で乾杯を言って大騒ぎしていれば、厄病神の取り付きがいがなくなる、と言われた。人間を最後に救うのは、芝居っ気。

                      素晴らしい教え、と美輪明宏さん。子供に対する親の教えは、そうあるべき。見方や視点をちょっと変えるだけで、狭かった希望の道が広く見える。


                               ☆母に捧げるバラード

                      ◎1972年に「海援隊」としてデビューしたが、全く売れなかった。
                      追い詰められて、適当に語るようになった。落ちぶれて帰ったときのために、母親のことをネタにしてその歌を詫び証文にしよう、と考えていた。断崖絶壁から生まれた歌「母に捧げるバラード」が100万枚以上の大ヒットになった。母親は歌を聞いたときに怒っていたが、歌どおりの人。世俗的。

                      ケースバイケースで生きていくんだ、という人だった。人がそう思うなら、その通りに嘘をついてあげる。無駄に真実を話して、面白くなくする必要は無い。人は誰でも面白い話を聞きたい。

                      「ヨイトマケの歌」は無言で愛情を示しているが、「母に捧げる
                      バラード」は、どんなに辛いときも笑い飛ばすという先人の知恵、
                      と美輪明宏さん。九州女の強さとユーモア。一言一言に哲学と真理がある。

                      家は貧しかったが、悲惨で暗くて切ない私をどこまでおどけて表現できるかが人生だ、と母親は言っていた。惨めな自分を笑い飛ばす高等技術。


                              ☆幸福の黄色いハンカチ

                      ◎東京へ戻り1〜2ヶ月で、映画「幸福の黄色いハンカチ」の仕事が
                      舞い込んできた。芝居もやったことが無いので、とても不思議だった。山田洋次監督からのオファー。「母に捧げるバラード」を聞いた監督が、台詞の作れる子かもしれない、と思ったことがきっかけ。台本の台詞を若者の生々しい言葉で膨らませてくれる才能が欲しかった。

                      山田洋次監督は、会ったときはとても優しかった。現場に入ったらとても怖かった。怒られて50回以上も撮り直したことがある。

                      父親が来ている、と江原啓之さん。母親も来ているが、父親を押し出している。父親が日の目を見るように。母親は父親への愛情がものすごく強かった。

                      母親は愛情たっぷりの人。父親はいつも武田さんの陰に徹していた。母親はこれを機会に父親を前に出そうとしている。
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