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江原啓之のオーラの泉・小室哲哉

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    JUGEMテーマ:芸能
     
                ☆小室哲哉さんのプロフィール

    小室哲哉(こむろ てつや)生年月日:1958年11月27日
    出身地:東京都府中市   血液型:o型

    ○学生時代

    音楽の時間に50分で16小節を譜面に書く作曲のテストがあった際、教師が小室の作品を見て「誰かは言いませんけどこの中ですごく上手な人がいました」と言った後、その曲がピアノで披露されて、その曲を他のクラスメイトがリコーダーで吹いた。小室は当時を振り返り「目立ちたくない時期だったためものすごく嫌だった」「だけど自信にはなりました」と語っている。日本万国博覧会でシンセサイザー・冨田勲の存在を知り、衝撃を覚える。

    家にあったギター・ヴァイオリン・エレクトーンを家族に無断で売り、当時16万円以上したというシンセサイザー「ローランドSH1000」を購入した。渡辺美里の1stアルバム「eyes」に収録されている「きみに会えて」・TM NETWORKの4thアルバム「Self Control」に収録されている「Here, There & Everywhere (冬の神話)」の雛型をその頃に作曲したという。

    早稲田実業学校高等部商業科に入学。小室の作曲テクニックにクラスメイトが憧れる余り、クラスメイトの半数以上の作曲の宿題を肩代わりさせられた。音楽担任は小室が卒業するまで気づかなかったという。

    早稲田大学社会科学部に進学し5年ほど在籍、その途中にプロ・ミュージシャンとしての活動を開始する(哀婉・あのねのね、白竜、原田真二等のバックバンド(キーボードを担当)、SPEEDWAYへの参加等)。その後、音楽活動に没頭していた・授業料を楽器代に使い廻していた為に単位がとれず除籍。

     ○TM NETWORK〜TMN時代まで

    1986年に渡辺美里へ提供した「My Revolution」が第28回日本レコード大賞金賞。自身の音楽ユニットであるTM NETWORKは、1987年に発表した「Get Wild」で一躍人気バンドとなり、1988年には第39回NHK紅白歌合戦に出場。

    自身のバンド活動と平行して、渡辺美里をはじめ、岡田有希子、荻野目洋子、おニャン子クラブの福永恵規、堀ちえみ、中山美穂、松田聖子、小泉今日子、宮沢りえ、観月ありさ、牧瀬里穂、中森明菜などに楽曲を提供し、作曲家としても活躍する。

    1989年に自身がリードボーカルを担当したソロ作の「RUNNING TO HORIZON」、「GRAVITY OF LOVE」が連続でオリコンシングルチャート1位を記録。1985年 - 1992年の間には、アニメーション映画の「吸血鬼ハンターD」、実写映画の「ぼくらの七日間戦争」、「天と地と」、月9テレビドラマの「二十歳の約束」、舞台ミュージカルの「マドモアゼル モーツァルト」の劇中音楽を手掛けた。

    1994年のTMN終了前後から、観月ありさ、篠原涼子、trf、hitomi、内田有紀、H Jungle with t、dos、globe、華原朋美、安室奈美恵、tohko、鈴木あみなど、多数の作詞、作曲、編曲と音楽プロデュースを兼任して行い、1994年から1999年の間に数々のミリオンセラーやヒット曲を打ち立て、その様子から各メディアにおいて、「小室ファミリー」、「小室サウンド」、「小室系」といった独自の名称でカテゴライズされる小室ブームという少年時代からの夢だった社会現象を起こした。(ウィキペディアより引用)



              ◎スピリチュアル・チェック

    ・小さい頃なりたかった職業・・・ミュージシャン。

    ・好きな言葉・・・恋しさと せつなさと 心強さと。

    ・苦手なもの・・・魚介類。

    ・人生で一番辛かったこと・・・家族が出来てから色々な噂で嫌な思いをさせたこと。

    ・無くなると困るもの・・・奥さん。


              ◎瞬間移動

    イギリス・ロンドンのホテルで寝ていた時、ホテルの階段をすごい勢いで下りた感じがして、ふと気付いたら大阪の十三(じゅうそう)にいたことがある。高速道路の上にいて危なかった。その後、また瞬間移動でイギリスに戻った。


        
            ◎江原啓之さん、美輪明宏さんとの関係



    美輪明宏さんとは初めまして。美輪明宏さんの声は倍音がすごい。メジャーコードなので心地良い。倍音とは、人の声の違いを明らかにする高い周波数の音。

    江原啓之さんとも初めまして。江原啓之さんの声は、BPMテンポが決まっているのが素晴らしい。江戸っ子のテンポ、と美輪明宏さん。ブレスのタイミングがきれいで、すごくリズミカル。


                  ◎音楽

    3歳でバイオリンを始めた。父親は音楽に反対していた。聴くのはギリギリ許されていた。父親とは、10年近く話もしなかった。

    1970年、大阪万博で冨田勲さんのシンセサイザーミュージックを聴き、衝撃を受けた。中学3年の時にシンセサイザーを購入。音が漏れないように、ヘッドフォンをして弾いていた。

    音楽をちゃんとやりだしたのはプロになってからと小室哲哉さん。譜面も読めなかった。コード譜は読めるが、今でも楽譜は読めない。音楽理論で作る人は売れないと美輪明宏さん。感性が邪魔されないため。

    1986年、渡辺美里さんに提供した「My Revolution」がヒット。作曲家として注目された。

    1987年、TM NETWORKの「GET WILD」がヒットして人気グループに。
    1993年、trfをプロデュース。
    1994年、篠原涼子さんに「恋しさと せつなさと 心強さと」を提供。
    1995年、安室奈美恵さんに「Body Feels EXIT」を提供。

    その後は、CD売上枚数1億7000万枚を突破。レコード大賞4年連続受賞など、音楽史上に残る記録を打ち立てた。長者番付では全国で4位になった。しかし、ステージ以外での小室さんの表情は暗かった。

    1995年、「globe」を結成。
    1997年、安室奈美恵さんの「CAN YOU CELEBRATE?」がヒット。プロデューサーとして絶頂期に。

    年間90曲、4日に1曲のペースで曲を作っていた。スタジオにこもりっぱなしで、2度の離婚を経験。プライベートな生活は無いも同然だった。当時は本当に笑っていなかったと小室哲哉さん。


                 ◎先祖の霊

    KEICO(KCO)さんと出会ってから、お互いに知らない他界した人がいて、藤色のカーディガンを着ていた。KEICOさんに関わりがある人(先祖の霊)。時々いる感じがすると小室哲哉さん。

    霊を追求すれば小室哲哉さんは私と一緒と江原啓之さん。霊に質問をすれば、名前やどういう人だったかが分かるはず。なさればいいと美輪明宏さん。


                ◎オーラの色

    当時とはオーラが違うと江原啓之さん。当時はドス黒い赤のオーラ。自分のことを考える時間が無く常に音楽を作ることしか考えていなくて、時間に追われていた。

    今は、穏やかなきれいな紫のオーラ。内観(人生を見つめる時間)が持てている。全然、別人と江原啓之さん。

    当時はまともに寝てもいなかったと江原啓之さん。夢か現実か分からない状態だった。記憶から抹消したいことが多いと小室哲哉さん。


              ◎KEIKO(KCO)さん

    ずっと笑いの無い人生だったと美輪明宏さん。よく頑張って生きてこられたと江原啓之さん。何回もダメかなと思ったことがあると小室哲哉さん。

    孤独が怖くて大勢の中にいたいのに、コミュニケートさせるとうるさいと美輪明宏さん。大勢の中に1人でいたい。コミュニケーションを望んでいない訳ではないが、時間が無いことが続き、家族や友人の代わりは鍵盤と歌詞だった。

    KEIKOさんと出会うまで、人との会話ができていなかったと
    江原啓之さん。無かったと小室哲哉さん。

    奥さんから見ると、自分は完全に子供と小室哲哉さん。人間を信じることが出来た初めての人と美輪明宏さん。

    奥さんの家族を含めての結婚だから全てを得たと江原啓之さん。奥さんと家族を一気に手に入れて新しい家に生まれた気分。人生がまるで変わった。その通りと小室哲哉さん。今までの孤独へのご褒美と江原啓之さん。

    初めて親や親戚の成り立ちなどを学んだ。お祭りやお盆、花見などの行事も新鮮に感じたと小室哲哉さん。現代の申し子みたいな方と美輪明宏さん。衣食住に全くこだわりが無かった。

    KEIKOさんのお父さんは、本当に息子にしてくれたと江原啓之さん。今までは家族関係から逃げてばかりいたが、今度は逃げたくないと小室哲哉さん。家族の中に入りたいという気持ち。

    KEIKOさんの父親は、2007年11月に他界。病院へ行った時、最後に言葉をかけてくれたのは小室哲哉さんだった。今までなら一歩さがっていたはずなのに、一番前で「みんな、お父さんにありがとうって言え」と叫んでいた。

    無償の愛と江原啓之さん。今まで逃げていたのは無償の愛じゃなかったから。代償を求められていたから逃げていた。

    父親からの一番のプレゼントは、無理やり食べさせられた事と江原啓之さん。とにかく食べろ食べろと毎日言われていた。ふぐ屋さんだったが、魚介類が食べられないので父親は最終的に素麺にして食べさせてくれた。それまでは、米もまともに食べていなかった。それが形見と美輪明宏さん。

    父親は亡くなり方を気に入っていると江原啓之さん。潔く散ることができたから。自分は満足しているが、みんなは早過ぎると言っている。苦労があった方が自分のものになると父親は言っている。

    孤独な魂の末に無償の愛に辿り着いたと江原啓之さん。アーティストとして極めることは自動的だったが、家族や愛情を得るには時間がかかった。無償の愛を得るために生まれてきたと美輪明宏さん。

    無償の愛とは見返りを要求しないこと。何をされても全てを受け止め、相手の幸せを願う。



                 ◎作曲



    色々な賞を受賞して嬉しかったが、それが目的で頑張ったのでは無く流れだったと小室哲哉さん。曲を作り以外の時間はほとんど無かった。音楽に対する愛情だけは消したくなかった。

    作曲している時が自分と対話している時間だったと江原啓之さん。歌詞はほとんど自分の事と小室哲哉さん。独り言の究極の形で音楽と接していた。自分のエネルギーが曲として出た。


                 ◎前世

    前世は女性歌手。ヨーロッパのクラシック。すごく歌っていて熱心で勤勉で、どれだけ高い声を出せるかずっと訓練していた。それが原因で声を壊してしまい、歌えなくなった。

    女性に提供する曲が多いのは、張りつめた美しい高音で女性に歌わせたい、という思いがあるから。歌手泣かせの難しい曲が多い。面食らうような転調の仕方と美輪明宏さん。

    まるでマリア・カラスのような人生と美輪明宏さん。マリア・カラスは、20世紀最高のソプラノと言われたオペラ歌手。少女時代は母親から愛されず、大富豪との恋愛と別れを経験し、生涯家族に恵まれずに他界。歌で表現することに生き、歌手として成功することで親に認められようとした。

    今世では音楽を作って表現し、現代を象徴する役割を持っていると江原啓之さん。発信する役目がたくさんある。




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