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江原啓之のオーラの泉・武田鉄矢

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           ☆武田鉄矢さんのプロフィール

    武田 鉄矢(たけだ てつや、1949年4月11日 - )は、福岡県福岡市博多区出身の歌手、俳優、タレント、作詞家である。本名、同じ。フォークグループ『海援隊』のリーダー。身長170cm。

    福岡市立板付小学校、三筑中学校、福岡県立筑紫中央高等学校卒業。坂本竜馬の研究を志して高知大学を志すも失敗し1浪を経て、福岡教育大学教育学部小学校教員養成課程に入学するも8年在籍し中退(正しくは除籍)。芸能界で失敗しても大学に戻れるよう母君の武田イクが学費を払い続けていたという。

    1972年10月25日に、千葉和臣・中牟田俊男らと海援隊でデビュー。当初は全く売れなかったが、武田が母・イク(1998年死去)に向けた詫び状を歌にした「母に捧げるバラード」(1973年)がヒットし、翌年の第31回NHK紅白歌合戦に出場。

    その後はしばらく低迷したが、映画「幸福の黄色いハンカチ」(1977年)でのさえない青年役が高い評価を得て俳優としての新境地を開拓。海援隊としても再び注目され、ドラマ「3年B組金八先生」(1979年)のヒットとともに主題歌の「贈る言葉」も大ヒットした。1982年12月、海援隊を解散後はソロ歌手・俳優・作家として活動。歌手活動としては、「男と女のラブゲーム」(芦川よしみとのデュエット)(1987年)、「声援」(「3年B組金八先生」第3シリーズ主題歌)(1988年)などのヒット曲がある。海援隊は1993年4月10日の「ドリームライブ in 福岡ドーム」のために1日だけ再結成され、翌1994年に本格的にグループとしての活動を再開し、現在に至る。

    フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。


            ☆スピリチュアル・チェック

    ◎性格を一言で言うと・・・臆病、不安がるタイプ。

    ◎小さい頃、どんな子供・・・のどかなぼんやりした少年。空を見たまま動かなくなる、菜の花畑から動かなくなる

    ◎怖いもの・・・減っていくお客。

    ◎家族の優しさ、思いやりを感じたとき・・・仕事が順調でないとき、女房からかけられた言葉一番苦労しているときの「周りをしっかり見ておこうね、ここがどうやらどん底らしい」という言葉が胸に響いている

    ◎人生の目標・・・武田鉄矢になりきること。


              ☆怖いものとは

    ◎怖いものは、減っていくお客。2000人満杯だった客が毎月後ろから減っていき、最後には15人になったことがある。歌が企画物と思われ、誰も聞いてくれなくなった。収入がなくなり、奥さんと二人で皿洗いのアルバイトをしたことが
    ある。奥さんから「周りをしっかり見ておこうね、ここがどうやら
    どん底らしい、もう上るだけ、もう落ちる心配しなくていいから」
    という言葉が支えになった。

    一度実家に帰ったら、母親は話を聞かずにお酒を燗につけていた。
    父親も呼んで突然「おめでとうございます、乾杯!」と言われた。

    実家に帰る話もしたが帰ってくるな、と言われた。厄病神が取り付いているような顔になっているから、家族3人で乾杯を言って大騒ぎしていれば、厄病神の取り付きがいがなくなる、と言われた。人間を最後に救うのは、芝居っ気。

    素晴らしい教え、と美輪明宏さん。子供に対する親の教えは、そうあるべき。見方や視点をちょっと変えるだけで、狭かった希望の道が広く見える。


             ☆母に捧げるバラード

    ◎1972年に「海援隊」としてデビューしたが、全く売れなかった。
    追い詰められて、適当に語るようになった。落ちぶれて帰ったときのために、母親のことをネタにしてその歌を詫び証文にしよう、と考えていた。断崖絶壁から生まれた歌「母に捧げるバラード」が100万枚以上の大ヒットになった。母親は歌を聞いたときに怒っていたが、歌どおりの人。世俗的。

    ケースバイケースで生きていくんだ、という人だった。人がそう思うなら、その通りに嘘をついてあげる。無駄に真実を話して、面白くなくする必要は無い。人は誰でも面白い話を聞きたい。

    「ヨイトマケの歌」は無言で愛情を示しているが、「母に捧げる
    バラード」は、どんなに辛いときも笑い飛ばすという先人の知恵、
    と美輪明宏さん。九州女の強さとユーモア。一言一言に哲学と真理がある。

    家は貧しかったが、悲惨で暗くて切ない私をどこまでおどけて表現できるかが人生だ、と母親は言っていた。惨めな自分を笑い飛ばす高等技術。


            ☆幸福の黄色いハンカチ

    ◎東京へ戻り1〜2ヶ月で、映画「幸福の黄色いハンカチ」の仕事が
    舞い込んできた。芝居もやったことが無いので、とても不思議だった。山田洋次監督からのオファー。「母に捧げるバラード」を聞いた監督が、台詞の作れる子かもしれない、と思ったことがきっかけ。台本の台詞を若者の生々しい言葉で膨らませてくれる才能が欲しかった。

    山田洋次監督は、会ったときはとても優しかった。現場に入ったらとても怖かった。怒られて50回以上も撮り直したことがある。

    父親が来ている、と江原啓之さん。母親も来ているが、父親を押し出している。父親が日の目を見るように。母親は父親への愛情がものすごく強かった。

    母親は愛情たっぷりの人。父親はいつも武田さんの陰に徹していた。母親はこれを機会に父親を前に出そうとしている。
                ☆前世

    ◎本物を常に見定めようとする視点が強くある、と江原啓之さん。
    武田鉄矢さんは役者、監督、人間として本物かを常に見ている。苦労していた時代は特にそうだった。

    前世(魂のルーツ)は、武内宿禰(たけのうちのすくね)。「たけしうちのすくね」とも言う。大和朝廷に仕えたと伝えられている伝説上の人物。神の言葉を解読する霊能力を持っていた、と言われる。300歳以上まで生きた、ともいわれている謎の存在。審神者(さにわ)。人に憑依した霊を見極め、その言葉を解読する霊能力者。見分ける、明白にさせる役柄。

    武田鉄矢さんの人生は、明白にするのがテーマ。ドラマ「3年B組 金八先生」などで社会的現象として問題提起をしたり、メッセージを送っている。


                ☆守護霊

    ◎守護霊は、日本の武将。義のために生きるのが大好き。後に出家して僧侶になっている。守護霊たちは、政治の道に進まなかったのは立派、とおっしゃっている。息長くやって行くために誘いを断ったのは正解。何度も誘いはあったが、迷いはなかった、と武田鉄矢さん。

    新しいことばかりを追い求めるのは止めなさい、と美輪明宏さん。一つのことを極めて、練り上げる仕事もある。

    今も新しい作戦を考えているが、そればかりでは消耗してしまう。無から有を生み出そうとする強迫観念があるが、それが自分を追い込んでしまう、と美輪明宏さん。骨が軋むほど無理はしているが、無理を強いるもう一人の自分がいる、と武田鉄矢さん。

    仕込み中に開店しようとする位せっかち、と江原啓之さん。暗中模索が広すぎる。走り続けるだけの人生は息切れしてしまう。

    守護霊たちは、今後、国のための貢献を求められる、とおっしゃっている。教育に関わっていく、と江原啓之さん。

    もう自分のことを考えるのがつまらない、と武田鉄矢さん。人のために何かをしてあげたい、という気持ちがある。誰かのために何かをしないと、自分が支えられなくなっている。

    金八先生をやったのは人助け、と美輪明宏さん。ドラマを見た人は啓蒙されたり、教わっている。人を助け、人の役に立っている。

                ☆感想

    今回の江原啓之さんの話はよかったです☆ドラマ「3年B組 金八先生」も始まって、これからも武田鉄矢さんの活躍が楽しみだと思いました♪

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